PR

栃木県の那須八幡塚古墳とは?中国鏡と鉄製品が伝える4世紀の那須

古代遺跡と考古学
この記事は約12分で読めます。
本ページはプロモーションが含まれています。

栃木県那須郡那珂川町にある那須八幡塚古墳(なすはちまんづかこふん)は、古墳時代前期に築かれた前方後方墳です。

全長は60.5メートルあり、墳丘からは中国で作られた夔鳳鏡(きほうきょう)や鉄剣、鉄鋸、鉄斧などが見つかっています。

これらの出土品は、4世紀の那須地域に有力な首長が存在し、遠方から貴重な品物を入手できる交流網を持っていたことを考える手掛かりです。

一方、埋葬された人物の名前や具体的な立場は分かっていません。

ここでは、那須八幡塚古墳の築造年代や形、発掘調査の成果、出土品の特徴、被葬者をめぐる見解、現地を見学する際の情報を紹介します。

  1. 那須八幡塚古墳の基本情報
    1. 那珂川町吉田にある古墳時代前期の古墳
    2. 築造年代は4世紀後半と考えられている
    3. 国指定史跡「那須小川古墳群」の一部
  2. 那須八幡塚古墳の形と構造
    1. 全長60.5メートルの前方後方墳
    2. 墳丘の斜面を覆っていた葺石
    3. 木棺を直接納めた埋葬施設
  3. 1953年と1991年度の発掘調査
    1. 1953年の調査で埋葬施設と副葬品を発見
    2. 史跡整備に伴う調査で古墳全体の姿が判明
  4. 那須八幡塚古墳から出土した副葬品
    1. 中国で作られた夔鳳鏡
    2. 鉄剣と多様な鉄製工具
    3. 葬送儀礼に使われたと考えられる土器
  5. 墳丘下の竪穴建物が示す築造前の風景
    1. 古墳を造る直前まで建物が存在した可能性
  6. 那須八幡塚古墳の被葬者は誰なのか
    1. 地域を率いた有力な首長が有力視される
    2. 中国鏡は政治的なつながりを考える手掛かり
  7. 那須小川古墳群のなかでの位置づけ
    1. 前方後方墳と方墳が集中する地域
    2. 南約300メートルにある吉田富士山古墳
  8. 那須八幡塚古墳の歴史的な価値
    1. 東国における古墳文化の広がりを示す
    2. 墳丘・埋葬施設・生活遺構を合わせて考えられる
  9. 那須八幡塚古墳の見学情報
    1. 所在地と問い合わせ先
    2. 現地で注目したい見どころ
  10. 那須八幡塚古墳に関するFAQ
    1. 那須八幡塚古墳は那須町にあるのですか?
    2. 群馬県の八幡塚古墳とは同じ古墳ですか?
    3. 夔鳳鏡などの出土品は現地で見られますか?
    4. 那須八幡塚古墳の被葬者は那須国造ですか?
  11. まとめ
  12. 主な出典元
    1. 公式・文化財機関の資料

那須八幡塚古墳の基本情報

那珂川町吉田にある古墳時代前期の古墳

那須八幡塚古墳は、栃木県那須郡那珂川町吉田にあります。

那珂川と、その支流である権津川(ごんづがわ)の合流地点を見下ろす河岸段丘の縁に築かれました。

河岸段丘とは、川の流れによって削られた土地が、階段のような地形になった場所です。

周囲より高く、川沿いの平地を見渡しやすい立地は、古墳の存在を地域の人々に強く印象づけたと考えられます。

那須八幡塚古墳は、単独で存在する古墳ではありません。

吉田富士山古墳とともに那須八幡塚古墳群を構成し、さらに駒形大塚古墳や吉田温泉神社古墳群などを含む「那須小川古墳群」の一部に位置づけられています。

築造年代は4世紀後半と考えられている

那珂川町の公式資料では、那須八幡塚古墳の築造年代は4世紀後半とされています。

判断の手掛かりになったのは、墳丘や周溝から出土した土器です。

周溝とは、墳丘の周囲に掘られた溝を指します。

底に孔を開けた有段口辺壺(ゆうだんこうへんつぼ)や、小型の坩(かん)、高坏(たかつき)などが確認されました。

これらの土器の形や組み合わせを同時期の遺跡と比較することで、古墳時代前期のうち4世紀後半に築かれたと考えられています。

国指定史跡「那須小川古墳群」の一部

那須八幡塚古墳群は、1979年3月13日に国の史跡に指定されました。

2002年12月19日には追加指定と名称変更が行われ、現在は「那須小川古墳群」の一部として保護されています。

那須小川古墳群は、関東地方でも早い時期に造られた前方後方墳と方墳がまとまって残る古墳群です。

栃木県の文化財情報では、吉田温泉神社古墳群と那須八幡塚古墳群を合わせると、南北約1キロメートルの範囲に20数基の前期古墳が連なると説明されています。

那須八幡塚古墳の形と構造

全長60.5メートルの前方後方墳

那須八幡塚古墳は、主軸を東西方向に置く全長60.5メートルの前方後方墳です。

前方後方墳とは、上から見たときに四角形の前方部と四角形の後方部がつながって見える古墳を指します。

よく知られる前方後円墳と異なり、遺体を納めた中心部にあたる後方部も方形です。

那須地域では古墳時代前期を通して前方後方墳が相次いで築かれており、那須八幡塚古墳もその系譜を示す一基です。

1991年度に始まった史跡整備に伴う調査では、前方部の両隅が角を切り落としたような形になっていることが明らかになりました。

墳丘を囲む周溝も整った形ではなく、不規則に巡っていました。

こうした細部は、発掘調査を行わなければ把握しにくい特徴です。

墳丘の斜面を覆っていた葺石

墳丘の斜面には、川原石を並べた葺石(ふきいし)が施されていました。

葺石は墳丘の表面を石で覆う設備です。

土の流出を抑える働きに加え、古墳の外観を整え、周囲から目立たせる役割もあったと考えられています。

現在の墳丘は、発掘調査の成果に基づき、崩れていた部分の一部が復元されています。

ただし、現在見える姿のすべてが築造当時のまま残っているわけではありません。

木棺を直接納めた埋葬施設

1953年の発掘調査では、後方部の墳頂から約1メートル下で埋葬施設が見つかりました。

木棺の両端を粘土の塊で押さえ、石室を設けずに墳丘へ直接納めた木棺直葬と考えられています。

埋葬された人物は、頭を東側へ向けていたと推定されています。

木棺そのものは長い年月のなかで失われていますが、粘土の位置や副葬品の出土状況から、埋葬方法を復元することができます。

1953年と1991年度の発掘調査

1953年の調査で埋葬施設と副葬品を発見

那須八幡塚古墳では、1953年に三木文雄氏の指導のもと、小川町古代文化研究会による発掘調査が行われました。

この調査で、前方後方墳であることや葺石の存在、後方部の埋葬施設が確認されました。

さらに、中国製の鏡や武器、農工具など、被葬者の性格を考えるうえで重要な副葬品も見つかっています。

発掘品の一部は東京国立博物館の所蔵資料となっており、古墳時代前期の東国を紹介する展示で取り上げられてきました。

史跡整備に伴う調査で古墳全体の姿が判明

1991年9月から1992年1月にかけて、史跡整備を目的とする調査が実施されました。

調査面積は4,000平方メートルで、古墳の規模や墳丘の形、周溝の状態が改めて確認されています。

前方部の特徴的な形や不規則な周溝に加え、墳丘下から古墳築造以前の竪穴建物跡が見つかったことも大きな成果でした。

調査成果は、小川町教育委員会が1997年に刊行した『那須八幡塚古墳』にまとめられています。

那須八幡塚古墳から出土した副葬品

中国で作られた夔鳳鏡

代表的な出土品は、夔鳳鏡です。

「夔」の字が一般的な文字ではないため、資料によっては「き鳳鏡」や「虁鳳鏡」と表記される場合があります。

東京国立博物館では、鳳凰を表した鏡として紹介されています。

同館の資料によると、鏡は3世紀の中国で作られ、4世紀の那須八幡塚古墳に副葬されたものです。

中国製の鏡が那須地域まで運ばれた事実は、被葬者が地域内だけで完結しない広い交流網につながっていたことを示します。

ただし、被葬者が中国と直接交流していたことを証明するものではありません。

鏡は各地の有力者を結ぶ複数の経路を通じて伝わった可能性があり、その具体的な経路は分かっていません。

鉄剣と多様な鉄製工具

埋葬施設からは、鉄剣のほか、鉄鋸、鉄斧、鉄鎌、鉄製のやりがんななどが出土しました。

やりがんなは、木材の表面を削って整える工具です。

武器だけでなく、木工や農作業に関係する道具がそろっている点は、那須八幡塚古墳の副葬品の特徴です。

鉄器は当時の生産活動を支える重要な道具であり、多種類の鉄製品を副葬できたことは、被葬者が豊かな資源と技術に関わる立場にあった可能性を示します。

一方で、実際に被葬者自身がこれらの道具を使っていたのか、地域の生産力や支配力を象徴する品として納められたのかは断定できません。

葬送儀礼に使われたと考えられる土器

墳丘や周溝からは、有段口辺壺、器台、高坏、鉢などの土器が見つかっています。

有段口辺壺は、口の部分に段を持つ壺です。

底に孔を開けた土器は、液体や穀物を保存する日用品としては使いにくいため、古墳で行われた儀礼のために用意されたと考えられています。

土器は築造年代を判断する資料であると同時に、埋葬の前後にどのような行為が行われたのかを探る手掛かりでもあります。

墳丘下の竪穴建物が示す築造前の風景

古墳を造る直前まで建物が存在した可能性

1991年度の調査では、墳丘の下から2棟の竪穴建物跡が確認されました。

そのうちの建物は焼失した痕跡を持ち、出土遺物から古墳が築かれる直前の時期に使われていたと推定されています。

これは、古墳が何もない土地に突然造られたのではなく、人が生活または活動していた場所を選んで築かれたことを示す重要な発見です。

建物が失われたことと古墳の築造に直接的な関係があったかどうかは、現時点では分かっていません。

火災を特別な儀礼と結びつける見方も想像できますが、それを裏付ける確かな証拠がない限り、事実として扱うことはできません。

那須八幡塚古墳の被葬者は誰なのか

地域を率いた有力な首長が有力視される

木棺を納めた大型の前方後方墳、中国製の鏡、多様な鉄製品という組み合わせから、被葬者は4世紀後半の那須地域を率いた有力な首長だったと考えるのが一般的です。

那須小川古墳群には、駒形大塚古墳や吉田温泉神社古墳など、複数の前方後方墳が築かれました。

それぞれの古墳の築造年代や特徴を比較すると、この地域で首長層が世代を重ねながら力を受け継いだ可能性が見えてきます。

しかし、那須八幡塚古墳の被葬者名を記した文字資料は発見されていません。

後世の那須国造と直接結びつけることも、現在の資料だけではできません。

古墳時代前期の地域首長と、文献に現れる国造制度を同一のものとして扱わない注意が必要です。

中国鏡は政治的なつながりを考える手掛かり

中国製の鏡は、古墳時代の有力者同士の関係を考えるうえで重要な資料です。

中央の有力勢力から地域の首長へ配られた可能性や、地域間の交流を通じて移動した可能性が考えられています。

ただし、鏡がどの勢力から、どのような経路で那須へ届いたのかは解明されていません。

那須八幡塚古墳は、那須の首長が列島規模の政治的・物資的な交流に加わっていたことを考えさせる一方、その具体像にはまだ多くの余白を残しています。

那須小川古墳群のなかでの位置づけ

前方後方墳と方墳が集中する地域

那須小川古墳群は、3世紀後半から4世紀にかけて築かれた古墳を中心とする古墳群です。

栃木県の「とちぎいにしえの回廊」では、全体が3基の前方後方墳と21基の方墳で構成されると紹介されています。

那珂川と権津川に沿うように古墳が並ぶ景観からは、川が人や物資を運ぶ交通路として重要だったことがうかがえます。

那須八幡塚古墳だけを見るのではなく、駒形大塚古墳や吉田温泉神社古墳と比較すると、古墳の形や副葬品が少しずつ変化した様子を捉えやすくなります。

南約300メートルにある吉田富士山古墳

那須八幡塚古墳の南約300メートルには、吉田富士山古墳があります。

一辺約30メートルの方墳で、那須八幡塚古墳とともに那須八幡塚古墳群を構成します。

吉田富士山古墳は私有地内にあるため、那須八幡塚古墳を見学した流れで無断立ち入りをしないよう注意が必要です。

古墳群としての広がりを意識しながら、公開されている範囲と私有地の境界を守って見学しましょう。

那須八幡塚古墳の歴史的な価値

東国における古墳文化の広がりを示す

古墳時代の政治や文化は、近畿地方だけで成立したものではありません。

各地の首長が地域社会をまとめながら、遠方の勢力とも関係を築いたことで、列島各地に大型古墳と共通する葬送文化が広がりました。

那須八幡塚古墳は、北関東の那須地域にも4世紀の段階で前方後方墳を築く有力者が存在したことを示します。

中国製の鏡や多様な鉄器は、地域の首長が広域的な交流から孤立していなかったことを物語ります。

墳丘・埋葬施設・生活遺構を合わせて考えられる

那須八幡塚古墳では、墳丘の形、葺石、周溝、木棺直葬の埋葬施設、副葬品、葬送儀礼に関わる土器が調査されています。

さらに墳丘下の竪穴建物跡も確認され、古墳築造前の土地利用まで検討できます。

一つの古墳から、築造前の生活、古墳の設計、埋葬、儀礼、後世の保存整備までをたどれる点に、この遺跡の大きな価値があります。

那須八幡塚古墳の見学情報

所在地と問い合わせ先

  • 名称:那須八幡塚古墳
  • 所在地:栃木県那須郡那珂川町吉田
  • 文化財指定:国指定史跡「那須小川古墳群」の一部
  • 所有者・管理者:那珂川町
  • 問い合わせ先:那珂川町教育委員会生涯学習課文化財係
  • 電話:0287-96-3366
  • 特徴:全長60.5メートルの前方後方墳で、発掘調査に基づく整備と一部復元が行われています

那珂川町と栃木県の公式ページでは、現地までの詳しい公共交通、見学時間、料金、専用駐車場について明確な案内を確認できませんでした。

訪問前に町の公式情報や地図を確認し、必要に応じて文化財担当部署へ問い合わせてください。

現地で注目したい見どころ

見学時は、前方部と後方部がともに四角い前方後方墳の形に注目してみましょう。

整備された墳丘を異なる方向から見ると、前方後円墳とは異なる直線的な輪郭を捉えやすくなります。

墳丘の斜面では、葺石がどのように外観を整えていたのかを想像できます。

また、古墳が河岸段丘の縁に築かれていることも重要です。

周囲の地形や川の方向を確かめると、築造者がなぜこの場所を選んだのかを考える手掛かりになります。

史跡は貴重な文化財です。

墳丘を削る、石や土を持ち帰る、立入禁止区域へ入るといった行為はせず、現地の案内表示に従って見学してください。

那須八幡塚古墳に関するFAQ

那須八幡塚古墳は那須町にあるのですか?

那須八幡塚古墳があるのは、那須町ではなく那須郡那珂川町です。

同じ那須郡に属するため混同しやすいものの、所在地は那珂川町吉田になります。

群馬県の八幡塚古墳とは同じ古墳ですか?

別の古墳です。

群馬県高崎市の八幡塚古墳は保渡田古墳群を構成する前方後円墳で、栃木県那珂川町の那須八幡塚古墳は前方後方墳です。

検索するときは「那須八幡塚古墳」または「那珂川町」と加えると区別しやすくなります。

夔鳳鏡などの出土品は現地で見られますか?

東京国立博物館の所蔵資料には、那須八幡塚古墳から出土した夔鳳鏡や鉄鋸が含まれています。

ただし、考古資料は展示替えが行われるため、常に展示されているとは限りません。

見学を目的にする場合は、東京国立博物館の展示予定や所蔵品データベースを事前に確認してください。

那須八幡塚古墳の被葬者は那須国造ですか?

被葬者を那須国造と断定できる資料は見つかっていません。

副葬品や古墳の規模から地域の有力な首長だった可能性は高いものの、個人名や具体的な役職は不明です。

まとめ

那須八幡塚古墳は、栃木県那珂川町吉田にある全長60.5メートルの前方後方墳です。

土器の年代から4世紀後半の築造と考えられ、後方部では木棺直葬の埋葬施設が確認されました。

中国製の夔鳳鏡や鉄剣、鉄鋸、鉄斧、鉄鎌などの副葬品は、被葬者が豊かな資源と広域的な交流に関わる有力者だった可能性を示します。

一方、被葬者の名前や鏡が那須へ届いた経路は明らかになっていません。

墳丘下から古墳築造直前の竪穴建物跡が見つかったことも、この古墳の大きな特徴です。

整備された墳丘だけでなく、周囲の河岸段丘や那須小川古墳群全体の広がりに目を向けると、4世紀の那須地域で営まれた暮らしと首長たちの活動が、より立体的に見えてきます。

主な出典元

公式・文化財機関の資料

  • 那珂川町「那須八幡塚古墳群」
    https://www.town.tochigi-nakagawa.lg.jp/0101/info-0000000592-0.html
  • 栃木県「とちぎの文化財|那須小川古墳群 駒形大塚古墳 吉田温泉神社古墳群 那須八幡塚古墳群」
    https://bunkazai.pref.tochigi.lg.jp/cultural/%E3%80%90%E9%82%A3%E9%A0%88%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4%E3%80%80%E9%A7%92%E5%BD%A2%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%80%80%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%A9%E6%B3%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE/
  • 栃木県「とちぎいにしえの回廊|那須小川古墳群」
    https://www.inishie.tochigi.jp/detail.html?course_id=0&id=16
  • 文化庁「国指定文化財等データベース|那須小川古墳群」
    https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/492
  • 全国文化財総覧「小川町埋蔵文化財調査報告 第10集 那須八幡塚古墳」
    https://sitereports.nabunken.go.jp/43392
  • 東京国立博物館「東国の前方後方墳―那須八幡塚古墳」
    https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=7417
  • 文化遺産オンライン「栃木県那珂川町 那須八幡塚古墳出土品」
    https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/507257

タイトルとURLをコピーしました