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宮中野古墳群とは?茨城県最大級の古墳群の歴史と見どころ

古代遺跡と考古学
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茨城県鹿嶋市には、100基を超える古墳がまとまって築かれた「宮中野古墳群(きゅうちゅうのこふんぐん)」があります。

北浦を望む台地上に前方後円墳や円墳、帆立貝式古墳などが点在しており、茨城県内でも最大級の規模を誇る古墳群です。なかでも、全長107.5メートルの夫婦塚古墳は宮中野古墳群を代表する大型古墳として知られています。

宮中野古墳群の魅力は、単に古墳の数が多いことだけではありません。

古墳の大きさや形、築造された場所からは、北浦の水上交通を掌握し、古代鹿島を治めていた有力な豪族の存在が浮かび上がります。また、鹿島神宮や『常陸国風土記』に記された香島郡の歴史を考えるうえでも重要な遺跡です。

この記事では、宮中野古墳群の歴史や特徴、夫婦塚古墳・お伊勢山古墳・大塚古墳の見どころ、アクセス方法、見学時の注意点をわかりやすく解説します。

宮中野古墳群とは?茨城県最大級とされる古墳群の概要

宮中野古墳群がある茨城県鹿嶋市の場所と地形

宮中野古墳群は、茨城県鹿嶋市大字宮中の宮中野地区を中心に分布しています。

鹿嶋市の中央部にあたり、北浦東岸の標高約35メートルの台地上に位置します。鹿島神宮から見ると北西側に広がる地域で、北浦に向かって突き出す複数の台地や、その周辺に古墳が築かれています。

宮中野古墳群がある台地は、低地よりも高く、水害を受けにくい場所です。

さらに、台地の縁から北浦方面を見渡せることから、古墳を築く場所として高い象徴性があったと考えられます。古代には現在よりも水域が広く、北浦を利用した舟運が人や物資を運ぶ重要な交通手段でした。

鹿嶋市では、北浦を進む船から古墳の姿が見えるように築かれ、地域を支配する豪族の力を示していた可能性を指摘しています。

北浦を望む台地に100基以上の古墳が築かれた理由

宮中野古墳群に多数の古墳が築かれた背景には、北浦周辺の豊かな生産力と水上交通があったと考えられます。

北浦沿岸には水田に利用できる低地が広がり、農業生産を支える環境が整っていました。また、北浦は周辺地域を結ぶ交通路でもあり、その航路や沿岸の土地を管理することは、古代の豪族にとって大きな意味を持っていたと考えられます。

北浦の対岸にあたる潮来市には、宮中野古墳群に匹敵する大生古墳群があります。

北浦を挟んで大規模な古墳群が向かい合うように存在していることから、周辺には複数の有力な集団があり、それぞれが土地や水上交通に影響力を持っていた可能性があります。

大型古墳の造営には、大量の土を運び、盛り上げ、墳丘の形を整えるための労働力が必要です。

100基を超える古墳が長期間にわたって築かれた事実は、古代鹿島に人々をまとめる政治的な力と、造営を支える経済基盤が存在していたことを示しています。

前方後円墳・円墳・陪塚が集まる古墳群の特徴

鹿嶋市の文化財紹介では、宮中野古墳群に前方後円墳19基、帆立貝式古墳2基、方墳3基、円墳103基が確認されており、合計すると127基になります。一方、鹿嶋市郷土かるたの解説では128基と紹介されているため、資料や調査時点によって集計に違いがあります。

そのため、宮中野古墳群の規模を紹介する場合は、「100基以上」または「約127~128基」と表現するのが適切です。

前方後円墳は、上空から見ると円形の後円部と四角形の前方部を組み合わせた形をしています。地域を代表する首長や有力者の墓として築かれることが多く、墳丘の大きさは被葬者の権力を考える手掛かりになります。

円墳は円形に土を盛った古墳で、宮中野古墳群の大半を占めています。

また、大型古墳の周囲には「陪塚(ばいちょう)」と呼ばれる小型古墳が築かれることがあります。陪塚には、大型古墳の被葬者と関係する人物を埋葬したものや、副葬品を納めるために造られたものがあったと考えられています。

宮中野古墳群の歴史と古代鹿島を治めた豪族

宮中野古墳群が築かれた古墳時代後期の鹿島

宮中野古墳群は、4世紀末ごろから7世紀後半ごろにかけて造営されたと推定されています。

ただし、すべての古墳が同じ時代に築かれたわけではありません。比較的古い古墳は南側にあり、時代が新しくなるにつれて北側へ造営範囲が移っていく傾向が確認されています。

古墳群の中で最も古い様相を示すのがお伊勢山古墳です。お伊勢山古墳が築かれた後、複数の前方後円墳や円墳が造営され、6世紀になると夫婦塚古墳のような大型古墳が築かれました。

つまり、宮中野古墳群は一人の支配者だけの墓域ではなく、数百年にわたって古代鹿島を治めた複数世代の首長層が利用した墓域だったと考えられます。

古墳群の周辺では、古墳時代中期の竪穴建物跡も多数確認されています。

発掘調査では、古墳時代を中心とする竪穴建物跡や土坑、炉跡などが発見されました。古墳を造った人々の集落や、古墳造営を支えた地域社会の存在を考えるうえでも重要な成果です。

古墳に埋葬された人物は誰なのか

宮中野古墳群の古墳に埋葬された人物の実名は、現在も判明していません。

古墳時代には、被葬者の氏名や経歴を記した墓誌が一般的ではありませんでした。宮中野古墳群についても、特定の人物名と古墳を直接結び付けられる史料は見つかっていません。

しかし、100メートル前後の前方後円墳を築くには、多数の人々を動員できる政治力が必要です。

そのため、夫婦塚古墳やお伊勢山古墳には、北浦沿岸の土地や水上交通を掌握していた首長級の人物が埋葬された可能性が高いと考えられています。

大塚古墳からは、銀象嵌を施した鉄製品や銀製の弓の金具、銀製刀子など、珍しい副葬品が発見されています。これらの出土品も、被葬者が一般の人ではなく、高い地位と権力を持つ人物だったことを示す材料です。

ただし、「鹿島国造の誰か」「鹿島神宮に仕えた特定の氏族」といった具体的な人物像は、現時点では推定の範囲を出ません。

鹿島神宮や古代の交通路との関係

宮中野古墳群は鹿島神宮の北側にあり、地理的に近い位置にあります。

鹿島神宮周辺は、古代から東国における重要な宗教的・政治的地域でした。鹿島神宮の公式案内でも、かつて周辺に大きな内海が広がり、東国開拓の前線となった地域であることが紹介されています。

北浦は古代の交通路として機能し、人や物資、情報が行き交っていたと考えられます。

宮中野古墳群の大型古墳が北浦に面した台地の縁に築かれていることから、船上から墳丘を見せることで、地域支配者の存在を印象付ける意図があった可能性があります。

一方で、古墳の被葬者が鹿島神宮の祭祀を直接担当していたことを証明する資料はありません。

宮中野古墳群と鹿島神宮の関係を考える際には、同じ地域の政治・交通・祭祀を支えた勢力が存在していた可能性はあるものの、両者の関係を断定しないことが大切です。

『常陸国風土記』から考える古代鹿島の勢力

『常陸国風土記』は、奈良時代に編纂された常陸国の地誌です。

和銅6年(713年)に各国の地名や産物、伝承などを報告するよう命じられたことを受けて編纂され、現在の鹿嶋市周辺は「香島郡」として記されています。鹿嶋市の解説では、香島郡が神と人間の理想郷のように描かれていると紹介されています。

『常陸国風土記』がまとめられたのは、宮中野古墳群の主要な古墳が築かれた時代より後です。

そのため、風土記に夫婦塚古墳などの被葬者名が記されているわけではありません。しかし、香島郡に重要な神社と行政組織が置かれたことは、この地域が律令国家の形成期にも重要な位置を占めていたことを示しています。

鹿嶋市では、宮中野古墳群を鹿島神郡の成立や国造の動きを知るうえで重要な遺跡と位置付けています。古墳群の変化をたどることで、地域の首長が古墳を築いていた時代から、律令国家の郡を単位とする支配体制へ移行していく過程を考えることができます。

宮中野古墳群の見どころと代表的な古墳

全長107.5メートルを誇る夫婦塚古墳と陪塚

夫婦塚古墳は、宮中野古墳群の中で最大規模を誇る前方後円墳です。

墳丘の全長は107.5メートルで、後円部は直径47.5メートル、高さ7.5メートル、前方部は幅34メートル、高さ5.75メートルあります。6世紀中ごろから後半にかけて築造されたと考えられ、2000年5月20日に鹿嶋市指定史跡となりました。

墳丘の北側は道路によって一部が削られていますが、周囲には周堀が残されています。周堀まで含めると、古墳全体の規模は約150メートルに達します。

夫婦塚古墳の東側には、直径約15メートルと約17.5メートルの円墳が2基あり、夫婦塚古墳に伴う陪塚と考えられています。

大型の主墳と小型の陪塚が組み合わされている点は、被葬者を中心とした身分秩序や、古墳造営時の計画性を考えるうえで重要な見どころです。

現地では、前方部と後円部の高さの違い、細長く伸びる前方部、周囲を巡る低い周堀に注目してみましょう。

航空写真のような前方後円形を地上から完全に確認するのは難しいものの、少し離れて墳丘全体を見ると、二つの丘が連なったような形を感じられます。

お伊勢山古墳の形状と見学ポイント

お伊勢山古墳は、宮中野古墳群の南西部にある全長約96メートルの前方後円墳です。

1974年と1981年に行われた現地調査によって形や規模が確認されました。ただし、本格的な発掘調査は実施されておらず、周堀の正確な範囲や埋葬施設の構造などには不明な点が残されています。

周堀を含めた全体の規模は100メートルを超える可能性があり、宮中野古墳群の中でも大型の古墳です。

また、古墳群内で最も古い様相を示すとされ、宮中野古墳群が形成され始めた時期を考えるうえで重要な存在です。

「お伊勢山」という名称は、かつて墳頂部にお伊勢様を祭る小さな祠があったことに由来します。古代の墓が、後世には地域の信仰の場所として利用されていたことを伝える名称です。

夫婦塚古墳のように見学用の環境が整えられた場所とは条件が異なるため、周辺の土地や施設内に無断で立ち入らず、道路など見学可能な場所から確認しましょう。

大塚古墳に残る歴史と特徴

大塚古墳は、夫婦塚古墳から南へ約500メートルの場所にある帆立貝式古墳です。

帆立貝式古墳とは、円形の墳丘に小さな方形部分を取り付けたような形をした古墳です。上空から見ると帆立貝に似ていることから、この名称で呼ばれています。

1982年に明治大学が発掘調査を行い、前庭部から埋葬施設が発見されました。

鹿嶋市の解説では「横口式石郭」と呼ばれる、他地域でも類例の少ない構造だったと紹介されています。残念ながら埋葬施設は大きく破壊されており、被葬者を特定することはできませんでした。

一方、残された副葬品には、銀象嵌のある鉄製の円頭柄頭、銀製弓弭金具、銀製刀子、馬具や武器の破片などが含まれていました。

珍しく高価な品々が副葬されていたことから、被葬者は古代鹿島でも高い地位にあった人物と考えられています。

大塚古墳は「勅使塚」とも呼ばれ、中央から派遣された役人が病気で亡くなり、ここに葬られたという伝承があります。ただし、これは後世に伝わった説であり、歴史的な事実として確認されているわけではありません。

古墳の配置から読み解く宮中野古墳群の謎

宮中野古墳群は、古墳が無秩序に並んでいるのではなく、いくつかのまとまりに分かれています。

夫婦塚古墳と大塚古墳を中心とする一群、お伊勢山古墳を中心とする一群、方墳を中心とする天神林古墳群、千年塚を中心とする鶴来古墳群などに分けて考えられています。

また、南側に比較的古い古墳があり、北側へ進むほど新しい古墳が多くなる傾向があります。

この配置は、時代の変化とともに墓域が移動したことや、同じ地域を治めた首長の系統が世代を重ねながら古墳を築いた可能性を示しています。

夫婦塚古墳の周辺には、主軸の方向をそろえた古墳もあります。

大型古墳と向きを合わせて造られた古墳は、夫婦塚古墳の被葬者と政治的・血縁的な関係を持つ人物の墓だった可能性があります。ただし、発掘調査が行われていない古墳も多く、宮中野古墳群には現在も多くの謎が残されています。

宮中野古墳群へのアクセスと現地見学ガイド

宮中野古墳群と夫婦塚古墳の所在地

宮中野古墳群は、茨城県鹿嶋市大字宮中の広い範囲に分布しています。

代表的な夫婦塚古墳の所在地は「茨城県鹿嶋市大字宮中3756-3」と案内されています。現地では、鹿行水道事務所や浄水場の入口付近にある案内表示を目印にすると見つけやすくなります。

宮中野古墳群全体が一つの史跡公園として整備されているわけではありません。

住宅地や農地、道路、水道施設周辺などに古墳が点在しているため、初めて訪れる場合は、まず見学環境が整っている夫婦塚古墳を目的地にするのがおすすめです。

車・公共交通機関で訪れる場合のアクセス方法

公共交通機関を利用する場合は、JR鹿島線・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の鹿島神宮駅が最寄り駅です。

観光情報では、鹿島神宮駅から宮中野古墳群まで徒歩約20分と案内されていますが、夫婦塚古墳の入口や歩くルートによっては20~30分ほど見ておくと安心です。

電車の運行本数が少ない時間帯もあるため、往路だけでなく帰りの時刻も確認してから出発しましょう。鹿島神宮の公式案内では、鹿島線は1時間に1本程度となる時間帯があることも案内されています。

車の場合は、東関東自動車道の潮来インターチェンジから鹿嶋市街地方面へ向かうルートが一般的です。交通情報では、潮来インターチェンジから夫婦塚古墳まで車で約20分が目安とされています。

現地周辺には細い道路や施設への進入路があるため、案内板を確認し、浄水場の業務用入口などに誤って入らないよう注意してください。

駐車場やトイレなど周辺設備の確認ポイント

夫婦塚古墳には、鹿行水道事務所の向かい側に見学者用の駐車場とトイレが整備されています。

鹿嶋市によると、市指定史跡となった後に見学環境が整備され、地域ボランティアの鹿嶋里山の会によって草刈りなどが行われています。

ただし、宮中野古墳群に含まれるすべての古墳に駐車場やトイレがあるわけではありません。

大塚古墳などを歩いて巡る場合は、夫婦塚古墳の駐車場を拠点とし、通行の妨げにならないように散策する方法があります。夫婦塚古墳から大塚古墳へは、浄水場の周回道路を利用して歩くルートが紹介されています。

設備の利用状況や道路状況は変わる可能性があるため、遠方から訪れる場合は、鹿嶋市または鹿嶋市どきどきセンターの案内を事前に確認すると安心です。

見学に適した季節と服装・散策時の注意点

宮中野古墳群を見学するなら、草木が比較的少なくなる晩秋から早春にかけてがおすすめです。

古墳の多くは木々や草に覆われているため、夏は墳丘の形が見えにくくなることがあります。また、蚊やハチ、マダニなどへの対策も必要です。

散策時は、長袖・長ズボンと歩きやすい靴を選びましょう。

雨の後は周堀や斜面が滑りやすくなるため、墳丘の急な斜面には入らないようにしてください。古墳は文化財であると同時に、場所によっては私有地や施設用地と接しているため、柵を越えたり、許可のない場所へ立ち入ったりしてはいけません。

夫婦塚古墳周辺だけを見学する場合は、30分前後が一つの目安です。

大塚古墳や千年塚古墳なども含めて歩く場合は、1時間30分から2時間以上を見込むと余裕があります。鹿嶋市の歴史ウォーキングでは、複数の古墳を巡る約5キロメートルのコースに約2時間10分が設定されていました。

鹿島神宮とあわせて巡る古代史観光ルート

宮中野古墳群を訪れるなら、鹿島神宮と組み合わせることで、古代鹿島の歴史をより深く理解できます。

最初に鹿島神宮を参拝し、古代鹿島における祭祀の重要性を確認した後、宮中野古墳群へ移動すると、神社を中心とする信仰と地域首長の墓域を関連付けて考えられます。

鹿島神宮駅を起点にする場合は、鹿島神宮、鹿島神宮駅、夫婦塚古墳の順に巡る方法があります。

時間に余裕があれば、夫婦塚古墳から大塚古墳まで歩き、異なる形の古墳を比較してみましょう。夫婦塚古墳は前方後円墳、大塚古墳は帆立貝式古墳であるため、墳丘の形や被葬者の地位の違いを意識しながら見学できます。

さらに詳しく知りたい場合は、鹿嶋市内の遺跡や出土品を紹介する鹿嶋市どきどきセンターの展示情報も確認してみましょう。

よくある質問(FAQ)

宮中野古墳群には何基の古墳がありますか?

宮中野古墳群には、100基を超える古墳があります。

鹿嶋市の文化財ページでは、前方後円墳19基、帆立貝式古墳2基、方墳3基、円墳103基の計127基とされています。一方、別の鹿嶋市資料では128基と紹介されているため、資料によって数え方に違いがあります。

宮中野古墳群は自由に見学できますか?

代表的な夫婦塚古墳は、駐車場やトイレが整備され、見学できるよう管理されています。

ただし、宮中野古墳群は広い範囲に点在しており、すべての古墳が同じように整備されているわけではありません。私有地、水道施設、農地などに接している場所では、道路からの見学を基本とし、無断で立ち入らないようにしてください。

夫婦塚古墳の被葬者は判明していますか?

夫婦塚古墳の被葬者は判明していません。

古墳の規模から、6世紀ごろの鹿島地方を治めた有力な首長と考えられますが、具体的な氏名や一族については確定していません。

「夫婦塚」という名称も、夫婦が一緒に埋葬されていることを証明するものではありません。前方部と後円部が二つの丘のように見えることから名付けられたと考えられています。

宮中野古墳群の見学にはどのくらい時間がかかりますか?

夫婦塚古墳だけを見学する場合は、20~40分ほどが目安です。

夫婦塚古墳から大塚古墳などへ歩いて移動する場合は、1時間30分から2時間程度を見込むとよいでしょう。複数の古墳を巡る約5キロメートルの散策コースでは、2時間以上かかる場合があります。

宮中野古墳群の近くに駐車場はありますか?

夫婦塚古墳には見学者用の駐車場があります。

鹿行水道事務所の向かい側にトイレとともに整備されており、夫婦塚古墳や周辺の古墳を歩いて巡る際の拠点として利用できます。

ただし、駐車場の利用条件や設備状況が変更される可能性もあるため、訪問前に鹿嶋市の最新情報を確認してください。

まとめ

宮中野古墳群は、茨城県鹿嶋市の北浦を望む台地上に形成された、県内最大級の古墳群です。

鹿嶋市の資料では127基または128基の古墳が確認されており、前方後円墳、帆立貝式古墳、方墳、円墳など、さまざまな形の古墳が残されています。

代表的な夫婦塚古墳は、全長107.5メートルを誇る大型前方後円墳です。周囲には陪塚があり、周堀を含めると全体の規模は約150メートルに達します。

お伊勢山古墳は古墳群の成立期を考えるうえで重要であり、大塚古墳からは高い地位の人物を思わせる珍しい副葬品が見つかっています。

宮中野古墳群から見えてくるのは、北浦の水上交通や沿岸の土地を背景に発展した古代鹿島の首長たちの姿です。

被葬者の名前は分かっていませんが、100基を超える古墳の配置や大きさを観察することで、地域社会の変化や権力の移り変わりを感じられます。

鹿嶋市を訪れる際は、鹿島神宮だけでなく宮中野古墳群にも足を延ばし、古代の豪族が築いた歴史の痕跡を巡ってみてはいかがでしょうか。

主な出典元

【中古】新装版 マンガ日本の歴史4-平安遷都と密教の隆盛 (中公文庫 S 27-4)/石ノ森 章太郎

古墳のひみつ 見かた・楽しみかたがわかる本 古代遺跡めぐり超入門 改訂版 [ 古代浪漫探究会 ]

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