茨城県鹿嶋市にある夫婦塚古墳は、北浦を望む台地に広がる宮中野古墳群を代表する前方後円墳です。
墳丘の全長は107.5メートル、周堀まで含めると約150メートルに達するとされ、茨城県内でも有数の規模を誇ります。鹿嶋市の公式資料では、宮中野古墳群で最大の古墳として紹介されています。
「夫婦塚」という名前から、夫婦が一緒に埋葬された墓を想像する人もいるでしょう。
しかし、夫婦塚古墳では本格的な発掘調査が行われておらず、埋葬施設の構造や被葬者の名前は判明していません。現在のところ、6世紀ごろに鹿島地方を治めていた有力な首長の墓だった可能性が高いと考えられています。
この記事では、茨城県鹿嶋市の夫婦塚古墳について、規模や築造時期、被葬者の可能性、「夫婦塚」という名前の由来、現地見学のポイントを詳しく解説します。
茨城県鹿嶋市の夫婦塚古墳とは
宮中野古墳群で最大規模を誇る前方後円墳
夫婦塚古墳は、茨城県鹿嶋市宮中にある前方後円墳です。北浦に向かって突き出す台地上に形成された宮中野古墳群の北部に位置しています。
宮中野古墳群は、前方後円墳、帆立貝式古墳、方墳、円墳などで構成される県内最大級の古墳群です。鹿嶋市が2017年時点で確認していた古墳は、前方後円墳19基、帆立貝式古墳2基、方墳3基、円墳103基余りに及びます。消滅した古墳も含まれるものの、100基を超える古墳が集中していたことは、この地域に強い政治力を持つ首長層が存在していたことを示しています。
その宮中野古墳群の中で最大規模を誇るのが、夫婦塚古墳です。
大規模な前方後円墳を築くためには、多くの労働力や食料、資材の確保が必要でした。そのため夫婦塚古墳は、単なる個人の墓ではなく、当時の鹿島地域における首長の権力を示す巨大な記念物だったと考えられます。
全長107.5メートル・周堀を含め約150メートルの巨大古墳
夫婦塚古墳の墳丘全長は107.5メートルです。
後円部は直径約47.5メートル、高さ約7.5メートル、前方部は幅約34メートル、高さ約5.75メートルを測ります。前方部が比較的細長く、後円部よりも低く造られている点が特徴です。
墳丘の周囲には周堀が残されており、周堀を含めた古墳全体の長さは約150メートルに達すると推定されています。
現在は墳丘北側の一部が道路によって削られていますが、周堀を含む古墳の輪郭は比較的よく残っています。駐車場側から見るだけでなく、周堀の低い部分を意識して歩くと、墳丘本体の大きさを実感しやすくなります。
夫婦塚古墳が築造されたのは6世紀のいつ頃?
鹿嶋市の公式案内では、夫婦塚古墳は6世紀代に築造されたものと推定されています。
さらに現地説明板などでは、後円部に比べて前方部が低く細長いことや、くびれ部から前方部へ直線的に広がる墳形から、6世紀中葉から後葉に築かれた可能性が示されています。年代に置き換えると、おおむね西暦550年ごろから600年ごろに当たります。
ただし、夫婦塚古墳では埋葬施設を確認する本格的な発掘調査が行われていません。
そのため、築造時期は出土品によって直接決められた年代ではなく、主に墳丘の形や周辺古墳との比較から推定されたものです。今後、非破壊調査や限定的な発掘調査が行われれば、年代がさらに絞り込まれる可能性があります。
鹿嶋市指定史跡として保存されている現在の姿
夫婦塚古墳は、東側に位置する2基の陪塚とともに「夫婦塚古墳附陪塚」として鹿嶋市指定史跡になっています。
2000年に市の史跡へ指定された後、鹿行水道事務所の向かい側に駐車場やトイレなどが整備されました。地元のボランティア団体「鹿嶋里山の会」による草刈りなども行われ、墳丘の形を観察しやすい状態が保たれています。
古墳の一部は樹木に覆われていますが、整備された場所から前方部、後円部、くびれ部、周堀などを確認できます。
博物館のような屋内施設ではなく、古墳時代の地形と墳丘を現地で体感できる史跡である点が、夫婦塚古墳の大きな魅力です。
夫婦塚古墳に眠るのは誰なのか
被葬者の名前が現在も特定されていない理由
夫婦塚古墳の被葬者は、現在も特定されていません。
古墳には通常、墓碑や被葬者名を記した文書が残されていません。文字資料が出土しない限り、古墳の大きさや形、埋葬施設、副葬品、周辺遺跡などから被葬者の地位を推定することになります。
夫婦塚古墳の場合は、本格的な発掘調査が行われておらず、石室や石棺などの埋葬施設も確認されていません。副葬品の全体像も分からないため、特定の人物名や一族名と結び付けるだけの証拠がないのが現状です。
鹿嶋市も、全国の古墳のうち被葬者が確定している例はごく少なく、多くは推定にとどまると説明しています。夫婦塚古墳も同様に、「誰が眠っているか」より「どのような地位の人物だったか」を考える段階にあります。
鹿島地域を治めた有力豪族の墓だった可能性
夫婦塚古墳の規模から考えると、被葬者は6世紀の鹿島地域を代表する有力な首長だった可能性があります。
当時、前方後円墳は誰でも自由に築ける墓ではありませんでした。100メートルを超える墳丘を築造するには、土木工事を指揮する政治力と、多数の人々を動員できる社会的な立場が必要です。
宮中野古墳群には多数の古墳が集中しており、その中でも夫婦塚古墳は突出した規模を持っています。
このことから、被葬者は宮中野古墳群を造営した首長一族の中でも、特に高い地位にあった人物だったと考えるのが自然です。鹿嶋市の観光案内でも、宮中野古墳群は6世紀の鹿島を治めた人々の墳墓として紹介されています。
ただし、古代の鹿島地域で知られる特定の氏族や歴史上の人物を、夫婦塚古墳の被葬者と断定することはできません。
北浦の水上交通を支配した首長との関係
夫婦塚古墳が築かれた台地からは、北浦方面を望むことができます。
古墳時代の北浦は、地域間を結ぶ水上交通路として重要な役割を果たしていたと考えられます。鹿嶋市は、北浦沿岸の台地に築かれた古墳について、湖上を進む船から見えるように造られ、その威容を示す意図があった可能性を指摘しています。
巨大な古墳が湖から見える位置に築かれていたとすれば、夫婦塚古墳は墓であると同時に、首長の権威を周囲へ示すランドマークだったとも考えられます。
被葬者は北浦周辺の農地や集落だけでなく、湖上交通や物資の流通にも一定の影響力を持っていたのかもしれません。
もっとも、「北浦の水運を直接支配していた」と証明する史料は見つかっていません。北浦との関係は、古墳の立地や周辺の古墳分布から考えられる有力な仮説の一つです。
2基の陪塚から読み解く被葬者の権力と一族
夫婦塚古墳の東側には、周堀に沿うように2基の小さな円墳があります。
北側の円墳は直径約17.5メートル、南側の円墳は直径約15メートルで、夫婦塚古墳に付属する陪塚と考えられています。
陪塚とは、大型古墳の周辺に計画的に造られた小規模な古墳です。
一般的には、大型古墳の被葬者と関係の深い親族や家臣が埋葬された墓、あるいは主墳に納める副葬品などを収めた施設だった可能性があります。ただし、夫婦塚古墳の2基については発掘調査が行われていないため、具体的な用途は判明していません。
それでも、巨大な主墳と2基の陪塚がまとまって配置されていることは、夫婦塚古墳の被葬者が単独の有力者ではなく、一族や従者を含む政治的集団の頂点にいた可能性を感じさせます。
なぜ「夫婦塚」と呼ばれているのか
夫婦塚古墳の名前の由来はわかっている?
「夫婦塚」という呼び名の詳しい成立時期や、最初に誰が名付けたのかは明らかになっていません。
現在広く紹介されている説は、前方部と後円部という二つの高まりを、寄り添う夫婦に見立てたというものです。全国観光情報データベースでも、二つの丘を夫婦に見立てた呼称と推定されています。
ただし、これは名前の由来を説明する伝承的な解釈であり、古墳の築造時から「夫婦塚」と呼ばれていたわけではありません。
古墳が築かれた6世紀と、現在使われている名称が成立した時代との間には、長い時間の隔たりがあります。
「夫婦」は2人の被葬者を意味するのか
夫婦塚古墳という名前だけを根拠に、夫婦2人が埋葬されているとは判断できません。
前方後円墳には、後円部などに複数の埋葬施設が設けられる例もありますが、古墳名と実際の埋葬人数が一致するとは限りません。
夫婦塚古墳では埋葬施設そのものが確認されていないため、被葬者が1人だったのか、複数だったのかも分かっていません。
また、東側の2基の陪塚についても、夫婦それぞれの墓を意味するものではありません。大きな前方後円墳と、その周囲に配置された小型円墳という考古学的な構成であり、夫婦関係を示す証拠は見つかっていません。
前方後円墳の形と夫婦塚という呼び名の関係
夫婦塚古墳は、上空から見ると鍵穴のような形をした前方後円墳です。
一方、地上から眺めると、前方部と後円部は二つの丘がつながっているようにも見えます。特に樹木や草に覆われた状態では、それぞれの高まりが独立した塚のように感じられることがあります。
こうした外観から、地域の人々が二つの高まりを一組の男女や夫婦に見立て、「夫婦塚」と呼ぶようになった可能性があります。
同じように「夫婦塚」と呼ばれる古墳や塚は全国各地にあり、二つの墳丘が並ぶ場所や、二つの目立つ高まりを持つ史跡に付けられることがある名称です。
地域に伝わる呼称と考古学的事実を分けて考える
夫婦塚という親しみやすい名称は、地域が古墳を長く守り、語り継いできた歴史を感じさせます。
一方で、名称をそのまま考古学的事実として受け取らないことも大切です。
現在確認できる事実は、夫婦塚古墳が6世紀代に築かれた大規模な前方後円墳であり、東側に2基の陪塚を伴っていることです。
被葬者が夫婦だったことや、男女2人が埋葬されたことを示す証拠はありません。
地域に伝わる名前の物語と、調査によって確認された古墳の構造を分けて考えることで、夫婦塚古墳の謎をより深く楽しめます。
夫婦塚古墳の見どころと現地見学ガイド
墳丘・周堀・陪塚を観察するおすすめポイント
夫婦塚古墳を訪れたら、まず駐車場付近の説明板と測量図を確認しましょう。
古墳全体は樹木に覆われているため、地上から一度に前方後円形の全景を見ることは難しくなっています。先に測量図で前方部と後円部の位置を把握すると、実際の形を理解しやすくなります。
主な観察ポイントは次のとおりです。
高さ約7.5メートルの後円部
細長く伸びる前方部
前方部と後円部がつながるくびれ部
墳丘の周囲に残る低い周堀
後円部東側に位置する2基の陪塚
北側の道路によって削られた部分
周堀の低い場所から墳丘を見上げると、駐車場側から眺めるよりも高さを実感できます。
陪塚は主墳よりも低いため、単なる自然の高まりと見分けにくい場合があります。説明板の測量図と見比べながら探すのがおすすめです。
夫婦塚古墳の場所とアクセス方法
夫婦塚古墳の所在地は、鹿嶋市の公式資料では「茨城県鹿嶋市大字宮中3756-3」と案内されています。鹿島神宮の西北側、鹿行水道事務所の向かい側付近に位置しています。
公共交通機関を利用する場合は、JR鹿島線・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の鹿島神宮駅が最寄り駅です。観光情報では、宮中野古墳群まで鹿島神宮駅から徒歩約20分と案内されています。
ただし、古墳周辺は住宅地や林に近く、道が分かりにくい場所もあります。
初めて訪れる場合は、地図アプリで「夫婦塚古墳」または所在地を確認しながら向かうと安心です。複数の古墳を巡る場合は、車やタクシー、自転車を利用すると移動しやすくなります。
駐車場・トイレなど見学前に確認したい設備
夫婦塚古墳には、見学者向けの駐車スペースとトイレが整備されています。
鹿嶋市によると、市指定史跡となった後に鹿行水道事務所の向かい側へ駐車場とトイレが設けられました。現地を紹介する観光記事では、東屋とバイオトイレを過ぎた先に駐車場があると案内されています。
一般的な観光施設のように売店や管理事務所が常駐している場所ではありません。
飲み物は事前に用意し、出たごみは持ち帰りましょう。トイレの使用状況や草刈りの時期は変わる可能性があるため、遠方から訪れる場合は鹿嶋市の最新情報を確認しておくと安心です。
古墳見学に適した季節と服装・足元の注意点
古墳を観察しやすい季節は、一般的に晩秋から冬、早春です。
冬は下草が少なくなり、墳丘の斜面や周堀の形が見えやすくなります。夫婦塚古墳では定期的に草刈りが行われているため、比較的見学しやすい状態が保たれていますが、夏は虫や暑さへの対策が必要です。
見学時は、滑りにくい運動靴やトレッキングシューズが適しています。
雨の後は土や落ち葉で斜面が滑りやすくなるため、無理に墳丘へ上がらないようにしましょう。夏は長袖、長ズボン、帽子、虫よけを用意し、冬は林の中で冷えない服装がおすすめです。
夫婦塚古墳は墳丘上も見学できるよう整備された事例が鹿嶋市の公民館活動で紹介されています。ただし、文化財であることを忘れず、整備された通路を利用し、斜面を削ったり植物を採取したりしないことが大切です。
鹿島神宮と宮中野古墳群を巡る周辺観光ルート
夫婦塚古墳を訪れるなら、鹿島神宮と組み合わせた歴史散策がおすすめです。
代表的なルートは、次のような流れです。
1:鹿島神宮を参拝する
2:鹿島神宮駅周辺から夫婦塚古墳へ移動する
3:夫婦塚古墳の墳丘・周堀・陪塚を見学する
4:宮中野古墳群の大塚古墳などを巡る
5:時間があれば北浦方面へ足を延ばす
鹿島神宮の信仰が栄える以前から、この地域には多くの集落や首長の墓が形成されていました。
神社だけでなく古墳群も一緒に巡ることで、古墳時代から古代へと続く鹿島地域の歴史を立体的に感じられます。
夫婦塚古墳と鹿島神宮の両方をゆっくり見学する場合は、半日程度の時間を確保しておくとよいでしょう。
よくある質問(FAQ)
夫婦塚古墳の被葬者は本当に夫婦ですか?
夫婦が埋葬されていると確認されたわけではありません。
「夫婦塚」という名称は、前方部と後円部の二つの高まりを寄り添う夫婦に見立てたものと推定されています。被葬者の人数、性別、関係は判明していません。
夫婦塚古墳の内部は発掘調査されていますか?
墳丘の測量調査は行われていますが、埋葬施設を確認する本格的な発掘調査は行われていません。
そのため、石室や石棺の形、副葬品、被葬者については不明です。築造時期は、主に墳丘の形状などから6世紀代と推定されています。
夫婦塚古墳は無料で見学できますか?
夫婦塚古墳は、通常自由に見学できる屋外史跡です。
入場券を購入する観光施設ではなく、鹿嶋市も「いつでも見学できるよう」整備していると案内しています。見学時は文化財を傷付けず、ごみを持ち帰るなどのマナーを守りましょう。
古墳の墳丘に登ることはできますか?
鹿嶋市の公民館による2025年の見学会では、古墳の上に上がれるよう整備されていると紹介されています。
ただし、斜面の状態や草刈り、天候によっては危険な場合があります。整備された場所を利用し、立入禁止の表示がある場所には入らないでください。
夫婦塚古墳に駐車場はありますか?
見学者向けの駐車スペースがあります。
駐車場付近にはトイレや東屋も整備されています。ただし、大型観光施設の駐車場とは異なるため、現地の案内表示に従い、周辺道路や施設の出入口に駐車しないよう注意しましょう。
まとめ
茨城県鹿嶋市の夫婦塚古墳は、100基を超える古墳が確認されている宮中野古墳群の中で、最大規模を誇る前方後円墳です。
墳丘全長は107.5メートル、周堀を含めると約150メートルに達し、6世紀中葉から後葉ごろに築かれた可能性があります。
被葬者の名前は分かっていませんが、古墳の大きさや北浦を望む立地から、鹿島地域を治めた有力な首長の墓だったと考えられます。東側に2基の陪塚を伴うことも、被葬者が強い政治力を持つ一族や集団の中心人物だった可能性を示しています。
一方、「夫婦塚」という名前は、夫婦が埋葬されていることを証明するものではありません。前方部と後円部の二つの高まりを、寄り添う夫婦に見立てた呼称と推定されています。
現地には駐車スペースやトイレ、説明板が整備され、墳丘や周堀、陪塚を観察できます。
鹿島神宮とあわせて訪れれば、古墳時代の首長が活躍した時代から、古代鹿島の信仰が発展していくまでの長い歴史を感じられるでしょう。
主な出典元

常陸の古墳群 続[本/雑誌] / 佐々木憲一/編 田中裕/編



