PR

吉田温泉神社古墳とは?前方後方墳の特徴と「殯」に関わる竪穴建物跡を解説

古代遺跡と考古学
この記事は約11分で読めます。
本ページはプロモーションが含まれています。

吉田温泉神社古墳は、栃木県那須郡那珂川町にある古墳時代前期の前方後方墳です。

前方部には温泉神社が祀られ、周囲には大小の方墳が並んでいます。

この古墳で特に注目されているのが、墳丘の近くで確認された一辺約8メートルの竪穴建物跡です。

建物内には祭壇のような高まりがあり、土器が整然と並べられていました。

そのため、古墳の造営や管理だけでなく、埋葬前の葬送儀礼に使われた施設だった可能性も考えられています。

ここでは、吉田温泉神社古墳の築造年代、墳形、出土品、古墳群の構成、竪穴建物跡と「殯(もがり)」の関係について、現在確認できる資料をもとに紹介します。

  1. 吉田温泉神社古墳の基本情報
    1. 読み方と所在地
    2. 築造年代は4世紀中頃と考えられている
    3. 国指定史跡「那須小川古墳群」の一部
  2. 吉田温泉神社古墳の形と規模
    1. 全長47メートルの前方後方墳
    2. 前方部に温泉神社が祀られている
    3. 周溝は竪穴建物跡を避けるように掘られていた
  3. 発掘調査と出土品
    1. 墳形を確かめるための調査が行われた
    2. 土師器や鉄製品が確認されている
    3. 被葬者の名前は分かっていない
  4. 竪穴建物跡は「殯」の施設だったのか
    1. 一辺約8メートルの建物跡
    2. 「殯」とは本葬まで死者を安置する儀礼
    3. 殯の施設と確定したわけではない
  5. 吉田温泉神社古墳群を構成する20基の方墳
    1. 方墳は南北約400メートルに並ぶ
    2. 古墳の違いから階層性がうかがえる
    3. 観音堂古墳も古墳群を考える重要な方墳
  6. 那須小川古墳群の中で見る歴史的価値
    1. 権津川流域に集まる古墳
    2. 3基の前方後方墳が地域勢力の動きを伝える
    3. 墓と儀礼施設を一緒に考えられる
  7. 吉田温泉神社古墳を見学するときの情報
    1. 古墳の所在地と見学時の注意点
    2. なす風土記の丘資料館で理解を深める
  8. 吉田温泉神社古墳に関するよくある質問
    1. 吉田温泉神社古墳には誰が葬られていますか?
    2. 竪穴建物跡は殯を行った施設で間違いありませんか?
    3. 築造当時の前方後方墳をそのまま見られますか?
    4. 吉田温泉神社古墳と那須小川古墳群は同じものですか?
  9. まとめ
  10. 主な出典元
    1. 自治体・文化財機関
    2. 博物館・発掘調査資料

吉田温泉神社古墳の基本情報

読み方と所在地

吉田温泉神社古墳は「よしだゆぜんじんじゃこふん」と読みます。

所在地は栃木県那須郡那珂川町の吉田・小川周辺です。

那珂川の支流である権津川の河岸段丘東端に位置し、周辺の方墳とともに吉田温泉神社古墳群を形成しています。

さらに、駒形大塚古墳や那須八幡塚古墳群と一体で、国指定史跡「那須小川古墳群」に含まれています。

築造年代は4世紀中頃と考えられている

那珂川町なす風土記の丘資料館は、吉田温泉神社古墳を4世紀中頃に造られた古墳として紹介しています。

これは古墳時代前期に当たり、地域の有力者を葬る大型古墳が関東各地に築かれ始めた時期です。

一方、栃木県の文化財情報では、那須小川古墳群全体を3世紀後半から4世紀に造られた古墳群としています。

古墳群全体が一度に完成したのではなく、複数の古墳が時期をずらしながら築かれたとみられます。

国指定史跡「那須小川古墳群」の一部

駒形大塚古墳は1979年3月13日に国の史跡に指定されました。

その後、2002年12月19日に吉田温泉神社古墳群と那須八幡塚古墳群が追加指定され、名称が「那須小川古墳群」に変更されました。

吉田温泉神社古墳だけが単独で指定されているのではなく、権津川流域に営まれた複数の古墳を一つの歴史的まとまりとして保存している点が重要です。

吉田温泉神社古墳の形と規模

全長47メートルの前方後方墳

那珂川町の公式情報によると、吉田温泉神社古墳は全長47メートルの前方後方墳です。

前方後方墳とは、一方が方形、もう一方も方形に造られ、上から見ると二つの四角形をつないだように見える古墳を指します。

円形の後円部を持つ前方後円墳とは異なる墳形です。

那珂川町は墳丘の主軸を東西方向としています。

ただし、墳丘の一部が失われているため、現在の外観だけから築造当時の形を正確に読み取るのは困難です。

前方部に温泉神社が祀られている

前方部には温泉神社が祀られており、この部分には墳丘の形が残っています。

古墳が後世の信仰の場として受け継がれてきたことを示す景観です。

一方、後方部は昭和初期に削平されました。

このため、現地を訪れても築造当時の前方後方墳が完全な姿で残っているわけではありません。

神社のある高まりと周辺の地形を見ながら、失われた後方部を含む本来の規模を想像する必要があります。

周溝は竪穴建物跡を避けるように掘られていた

古墳の周囲には、墳丘を区画する周溝が設けられていました。

発掘調査では、古墳北西側の周溝が、先に存在したとみられる竪穴建物跡を避けるように掘られている状況が確認されています。

これは墳丘と周溝だけを調べても分からない、建物跡と古墳の関係を考える重要な手がかりです。

建物を単純に壊して古墳を造ったのではなく、その場所を意識しながら古墳の範囲を決めた可能性があります。

発掘調査と出土品

墳形を確かめるための調査が行われた

吉田温泉神社古墳では、墳丘の形や古墳周辺の遺構を確認するための調査が行われてきました。

全国文化財総覧には、1990年7月18日から8月2日まで、墓地造成に伴う発掘調査が実施された記録があります。

その成果は、小川町教育委員会が1991年に刊行した『吉田温泉神社古墳―墳形確認調査報告―』にまとめられています。

周辺を含む調査によって、前方後方墳だけではなく、方墳、竪穴建物跡、土器を使った祭祀の痕跡などが確認されました。

土師器や鉄製品が確認されている

全国文化財総覧の調査記録には、土師器の壺や器台、鉄製品が主な出土品として挙げられています。

土師器は、古墳時代に広く使われた素焼きの土器です。

器台は器を載せる台で、日常生活だけでなく、古墳で行われた儀礼に使われることもありました。

吉田温泉神社古墳と周辺の方墳では、有段口辺壺と呼ばれる口縁部が段状になった壺も確認されています。

こうした土器は、古墳の築造時期や葬送儀礼のあり方を検討する材料になります。

被葬者の名前は分かっていない

吉田温泉神社古墳に葬られた人物の名前を示す文字資料は確認されていません。

古墳の規模や墳形から、地域社会を率いた有力者の墓と考えることはできますが、特定の人物や氏族に結び付けることはできません。

また、後方部が削平されているため、埋葬施設の全体像にも不明な点が残ります。

「那須国造の墓」と断定するのではなく、後の那須国造につながる地域勢力を考えるうえで重要な古墳と捉えるのが慎重です。

竪穴建物跡は「殯」の施設だったのか

一辺約8メートルの建物跡

吉田温泉神社古墳の北西では、一辺約8メートルの竪穴建物跡が確認されています。

竪穴建物とは、地面を掘り下げ、その上に柱や屋根を設けた建物です。

古墳時代の一般的な住居にも同じ形式が使われましたが、この建物跡には通常の住居とは異なる特徴がありました。

内部に祭壇のような高まりが設けられ、その付近に供献用とみられる土器が整然と置かれていたためです。

周辺調査では複数の竪穴が見つかっており、古墳の造営や管理に関わった施設だった可能性も指摘されています。

「殯」とは本葬まで死者を安置する儀礼

殯とは、死者をすぐに埋葬せず、本葬まで一定期間安置しながら別れの儀礼を行うことです。

吉田温泉神社古墳に隣接する建物跡は、祭壇状の高まりや土器の配置から、古墳の被葬者に関わる葬送儀礼の場だったのではないかと考えられています。

古墳の周溝が建物跡を避けるように造られていることも、両者が深く関係していたとみる根拠の一つです。

殯の施設と確定したわけではない

建物跡を殯の場とする見方は有力な解釈の一つですが、確定した事実ではありません。

木材や屋根などの上部構造は残っておらず、当時の儀礼を説明する文字記録が同じ場所から見つかったわけでもないためです。

建物が古墳築造の作業拠点、管理施設、祭祀施設など、複数の役割を持っていた可能性も検討する必要があります。

それでも、古墳の近くから祭壇状の設備と供献土器がまとまって確認された例は、墳丘に埋葬するまでの過程を考えるうえで貴重です。

完成した墓だけでなく、死者を送り出した人々の行動に目を向けられることが、吉田温泉神社古墳の大きな特徴です。

吉田温泉神社古墳群を構成する20基の方墳

方墳は南北約400メートルに並ぶ

那珂川町の公式情報では、吉田温泉神社古墳群は、吉田温泉神社古墳と20基の方墳で構成されています。

方墳は一辺5.5メートルから30メートルほどで、権津川の河岸段丘東端に沿って、南北約400メートルの範囲におおむね2列で並んでいます。

一基の大型古墳だけが孤立していたのではなく、同じ地域で複数の墓が計画的に築かれていた様子が分かります。

古墳の違いから階層性がうかがえる

20基の方墳は、すべて同じ規模や構造ではありません。

墳丘を石で覆う葺石を持つもの、周溝を渡る土橋を持つもの、有段口辺壺が出土したものなど、古墳ごとに違いがあります。

大きさにも5倍ほどの幅があることから、葬られた人々の社会的な立場や、所属する集団の違いが墳墓に表れた可能性があります。

ただし、墳丘の大きさだけで身分を機械的に決めることはできません。

築造年代、埋葬施設、出土品、古墳同士の位置関係を合わせて検討する必要があります。

観音堂古墳も古墳群を考える重要な方墳

吉田温泉神社古墳の南には、観音堂古墳と呼ばれる大型の方墳があります。

資料によっては温泉神社21号墳とも呼ばれ、吉田温泉神社古墳群を構成する代表的な方墳です。

前方後方墳と大型方墳、小型方墳が同じ範囲に並ぶ景観は、古墳時代前期の集団構成や墓域の使い方を考える手がかりになります。

那須小川古墳群の中で見る歴史的価値

権津川流域に集まる古墳

那須小川古墳群は、那珂川とその支流である権津川に近い河岸段丘上に広がっています。

川を見下ろす段丘端は周囲から見えやすく、水上・陸上交通にも目を配りやすい場所です。

古墳をこの場所に築いた理由は確定していませんが、地域の有力者が自らの存在を示すうえで、川沿いの高まりは効果的な立地だったと考えられます。

3基の前方後方墳が地域勢力の動きを伝える

那須小川古墳群には、駒形大塚古墳、吉田温泉神社古墳、那須八幡塚古墳という3基の前方後方墳があります。

栃木県は、これらを関東地方でも早い時期に築かれた前方後方墳群として紹介しています。

前方後方墳が近い範囲に続けて築かれたことは、古墳時代前期の那須地域に、複数世代にわたって大きな墳墓を造れる勢力が存在したことを示します。

一方で、3基を同じ一族の墓と断定できる証拠はありません。

墳形や出土品の共通点だけでなく、それぞれの築造順序や周辺集落との関係についても研究が続けられています。

墓と儀礼施設を一緒に考えられる

一般に古墳の研究では、墳丘の形、埋葬施設、副葬品が大きく注目されます。

吉田温泉神社古墳では、それらに加えて、近接する竪穴建物跡と供献土器が確認されました。

そのため、古墳が完成した後の埋葬だけではなく、築造、管理、葬送儀礼まで含めた一連の活動を考えることができます。

この点が、吉田温泉神社古墳を古墳時代の葬送文化を伝える重要な遺跡にしています。

吉田温泉神社古墳を見学するときの情報

古墳の所在地と見学時の注意点

  • 名称:吉田温泉神社古墳群
  • 所在地:栃木県那須郡那珂川町吉田・小川周辺
  • 文化財指定:国指定史跡「那須小川古墳群」の一部
  • 見学時間:那珂川町の古墳紹介ページには記載されていません
  • 料金:那珂川町の古墳紹介ページには記載されていません
  • 駐車場:公式ページでは専用駐車場の有無を確認できません
  • 問い合わせ先:那珂川町教育委員会生涯学習課文化財係
  • 電話:0287-96-3366
  • 見学時の注意点:神社の境内や農地に近い場所のため、参拝者や地域住民の迷惑にならないように見学してください

吉田温泉神社古墳は後方部が削平されているため、整った前方後方墳の全景を見る場所というより、神社のある前方部、古墳群が並ぶ段丘上の地形、説明板などから築造時の姿を読み取る遺跡です。

現地の通路や公開状況は変わる可能性があります。

訪問前に、那珂川町なす風土記の丘資料館へ最新の見学方法や駐車場所を確認すると安心です。

なす風土記の丘資料館で理解を深める

  • 名称:那珂川町なす風土記の丘資料館
  • 住所:栃木県那須郡那珂川町小川3789
  • 開館時間:午前9時30分から午後5時まで
  • 入館時間:午後4時30分まで
  • 休館日:月曜日、祝日の翌日、年末年始、展示替期間
  • 電話:0287-96-3366
  • 車でのアクセス:東北自動車道矢板インターチェンジから約30分
  • 特徴:那須地域の古墳や古代遺跡に関する資料を展示しています

休館日の月曜日が祝日に当たる場合は開館します。

土曜日または日曜日が祝日の翌日に当たる場合も開館すると案内されています。

展示内容や臨時休館は変わることがあるため、訪問前に公式サイトで確認してください。

資料館で那須小川古墳群の位置関係や出土品を確認してから現地へ向かうと、墳丘の一部が失われた吉田温泉神社古墳も理解しやすくなります。

吉田温泉神社古墳に関するよくある質問

吉田温泉神社古墳には誰が葬られていますか?

被葬者の名前は分かっていません。

全長47メートルの前方後方墳であることから地域の有力者の墓とみられますが、特定の人物や那須国造本人の墓と断定できる文字資料は確認されていません。

竪穴建物跡は殯を行った施設で間違いありませんか?

殯に関わる施設だった可能性が考えられていますが、確定していません。

祭壇状の高まり、供献土器の配置、古墳の周溝との位置関係が根拠になっています。

古墳の造営や管理に関わる施設だった可能性も含めて検討されています。

築造当時の前方後方墳をそのまま見られますか?

完全な形では残っていません。

温泉神社が祀られた前方部は形をとどめていますが、後方部は昭和初期に削平されています。

現地では、残存する墳丘と周辺地形から本来の姿を想像することになります。

吉田温泉神社古墳と那須小川古墳群は同じものですか?

同じものではありません。

吉田温泉神社古墳は一基の前方後方墳で、周囲の方墳と合わせて吉田温泉神社古墳群を形成しています。

那須小川古墳群は、吉田温泉神社古墳群、駒形大塚古墳、那須八幡塚古墳群を合わせた国指定史跡の名称です。

まとめ

吉田温泉神社古墳は、栃木県那珂川町にある全長47メートルの前方後方墳です。

4世紀中頃の築造と考えられ、周囲の20基の方墳とともに吉田温泉神社古墳群を形成しています。

前方部には温泉神社が祀られていますが、後方部は昭和初期に削平され、築造当時の姿は完全には残っていません。

古墳北西の竪穴建物跡からは、祭壇状の高まりと整然と置かれた供献土器が確認されました。

この建物跡は、殯を含む葬送儀礼の施設だった可能性が指摘されています。

ただし、その用途は確定しておらず、古墳の造営・管理施設だった可能性も残されています。

墳丘だけでなく、死者を埋葬するまでに行われた儀礼や、周囲に墓を築いた人々の階層まで考えられることが、吉田温泉神社古墳の歴史的な魅力です。

主な出典元

自治体・文化財機関

博物館・発掘調査資料

タイトルとURLをコピーしました