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栃木県の駒形大塚古墳とは?木炭槨と画文帯四獣鏡を解説

古代遺跡と考古学
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栃木県那須郡那珂川町にある駒形大塚古墳は、約1700年前の古墳時代前期に築かれた前方後方墳です。

全長60.5メートルの墳丘からは、木棺を大量の木炭で覆ったと考えられる木炭槨が見つかり、中国で作られた画文帯四獣鏡や武器、工具、ガラス玉などが出土しました。

前方部の一部は削られていますが、古い特徴を残す墳形と豊富な副葬品が確認されたことから、東日本で古墳が造られ始めた時期を考えるうえで重要な遺跡とされています。

ここでは、駒形大塚古墳の形や築造年代、1974年の発掘調査、木炭槨、画文帯四獣鏡、国史跡に指定された理由を分かりやすく紹介します。

  1. 駒形大塚古墳とは
    1. 栃木県那珂川町にある全長60.5メートルの前方後方墳
    2. 前方部と後方部がともに四角い前方後方墳
    3. 関東地方でも早い時期に築かれた古墳
  2. 1974年の発掘調査で明らかになったこと
    1. 後方部の墳頂下約1.5メートルで埋葬施設を発見
    2. 木炭槨とは木棺を木炭で覆った埋葬施設
    3. 遺体と副葬品に朱を振りかけたと考えられている
  3. 画文帯四獣鏡と豊富な副葬品
    1. 中国からもたらされた画文帯四獣鏡
    2. 武器・工具・ガラス玉も見つかった
    3. 底に穴を開けた有段口辺壺
  4. 駒形大塚古墳の墳丘に見られる特徴
    1. 前方部は削られている
    2. 墳丘に葺石は確認されていない
    3. 河岸段丘の東端が選ばれた
  5. 那須小川古墳群の中で最初に国史跡となった古墳
    1. 1979年に駒形大塚古墳が国史跡に指定
    2. 2002年に那須小川古墳群へ追加指定・名称変更
    3. 後の那須国造につながる地域の歴史
  6. 駒形大塚古墳の見学情報
    1. 駒形公園として整備されている
    2. なす風土記の丘資料館で出土品を確認する
  7. 駒形大塚古墳に関するよくある質問
    1. 駒形大塚古墳は栃木県のどこにありますか?
    2. 駒形大塚古墳の中へ入れますか?
    3. 画文帯四獣鏡は卑弥呼が受け取った鏡ですか?
    4. 駒形大塚古墳には誰が葬られていますか?
    5. 画文帯四獣鏡は現在どこにありますか?
  8. まとめ
  9. 主な出典元
    1. 参考にした公的資料・研究情報

駒形大塚古墳とは

栃木県那珂川町にある全長60.5メートルの前方後方墳

駒形大塚古墳の読み方は「こまがたおおつかこふん」です。

栃木県那須郡那珂川町小川にあり、那珂川右岸の河岸段丘上に築かれています。

河岸段丘とは、川の浸食などによって形成された階段状の地形です。

栃木県の文化財情報によると、駒形大塚古墳は段丘の最上面東端に位置し、墳丘の主軸を東西方向に置いています。

古墳の基本情報は次のとおりです。

  • 名称:駒形大塚古墳
  • 読み方:こまがたおおつかこふん
  • 所在地:栃木県那須郡那珂川町小川
  • 墳形:前方後方墳
  • 墳丘全長:60.5メートル
  • 後方部の高さ:約6.5メートル
  • 築造時期:古墳時代前期、約1700年前
  • 埋葬施設:木炭槨と推測される施設
  • 史跡指定:1979年3月13日に国史跡指定
  • 現在の位置付け:国史跡「那須小川古墳群」を構成する古墳
  • 現況:周囲は駒形公園として整備

墳丘の前方部は後世に削られています。

一方、後方部は現在も大きな土の高まりとして残り、古墳が築かれた段丘上の地形を現地で確かめられます。

前方部と後方部がともに四角い前方後方墳

前方後方墳は、平面形が四角い前方部と、同じく四角い後方部を組み合わせた古墳です。

よく知られる前方後円墳は後方部が円形ですが、前方後方墳では遺体を納める中心部が方形になっています。

駒形大塚古墳では後方部の墳頂に埋葬施設が設けられていました。

前方部は一部が失われているものの、前端へ向かってわずかに広がる「撥形」と呼ばれる形が確認されています。

撥は、三味線などの弦をはじく道具です。

その輪郭に似ていることから撥形と呼ばれ、駒形大塚古墳が古い形式の前方後方墳であることを示す特徴の一つになっています。

関東地方でも早い時期に築かれた古墳

那珂川町は、駒形大塚古墳を古墳時代前期に造られた古墳と説明しています。

栃木県の文化財案内では、駒形大塚古墳を含む那須小川古墳群は3世紀後半から4世紀にかけて築かれた、関東地方でも古い時期の前方後方墳群に位置付けられています。

また、町の史跡案内では、駒形大塚古墳は出土品と墳形から関東地方でもっとも早い時期に造られた古墳の一つと考えられています。

現在の暦で築造年を一点まで特定できるわけではありません。

それでも、東日本で大型古墳が出現した頃の墳形、埋葬方法、副葬品を一緒に確認できる点が、駒形大塚古墳の大きな特徴です。

1974年の発掘調査で明らかになったこと

現在知られている駒形大塚古墳の姿は、墳丘の形だけから判断されたものではありません。

発掘調査によって、墳頂の下に設けられた埋葬施設と、被葬者に添えられた数多くの品々が確認されました。

後方部の墳頂下約1.5メートルで埋葬施設を発見

駒形大塚古墳の発掘調査は、1974年に行われました。

後方部の墳頂から約1.5メートル下で、墳丘の東西方向の主軸に沿って造られた埋葬主体部が発見されています。

栃木県の文化財情報では、その範囲は東西約5.4メートル、南北約1.6メートルと推測されています。

そこには木棺を納め、周囲を木炭で覆った「木炭槨」が造られていたと考えられています。

木材そのものは長い年月の間に失われやすいため、残された木炭の分布、朱の付着、遺物の位置などから当時の構造が検討されました。

木炭槨とは木棺を木炭で覆った埋葬施設

木炭槨は「もくたんかく」と読みます。

木棺の周囲を木炭で覆う構造で、石を組んだ石室とは異なる埋葬施設です。

駒形大塚古墳では、木炭に囲まれた木棺の内部に被葬者と副葬品が納められていたと推測されています。

木炭を用いた詳しい目的は、当時の記録が残っていないため分かっていません。

遺体や棺を守る実用的な役割だけでなく、葬送儀礼上の意味を持っていた可能性もありますが、発掘された構造だけから一つの目的に決めることはできません。

遺体と副葬品に朱を振りかけたと考えられている

埋葬施設から見つかった副葬品には、赤い朱が付着していました。

この状況から、木棺内に遺体と副葬品を安置した後、上から朱を振りかけたと考えられています。

朱は古代の墓や儀礼で使われた赤色の顔料です。

ただし、駒形大塚古墳の人々が朱に込めた具体的な意味を伝える文字資料はありません。

ここで確実に分かるのは、被葬者と品々を納めるだけでなく、朱を使った特別な葬送行為が行われたということです。

画文帯四獣鏡と豊富な副葬品

駒形大塚古墳を代表する出土品が、中国で作られた画文帯四獣鏡です。

鏡だけでなく武器、工具、装身具に関係する品々がまとまって見つかり、被葬者の立場や広域的な交流を考える資料になっています。

中国からもたらされた画文帯四獣鏡

画文帯四獣鏡は「がもんたいしじゅうきょう」と読みます。

背面の外側に文様を表した帯が巡り、内側に四獣を配置した中国鏡です。

栃木県の文化財情報では、中国からもたらされた舶載鏡として紹介されています。

鏡は木炭槨の西側にある、被葬者の頭部付近とみられる場所から見つかりました。

古墳時代前期の鏡は、姿を映す日用品だけではありません。

希少な品を手に入れられる政治的なつながりや、所有者の権威を示す品として墓に納められたと考えられています。

駒形大塚古墳の被葬者が中国と直接交流したことを示すわけではありません。

鏡が日本列島のどの勢力を経由し、どのような関係の中で那須地域へ届いたのかは分かっていませんが、東日本の内陸部まで貴重な品が運ばれる交流網があったことを伝えています。

武器・工具・ガラス玉も見つかった

木炭槨の内部からは、画文帯四獣鏡のほかに次の品々が出土しました。

  • 銅鏃
  • 直刀
  • 刀子
  • 鉄剣
  • ヤリガンナ
  • 鉄斧
  • ガラス玉

銅鏃は銅で作られた矢じり、刀子は小型の刃物です。

ヤリガンナは、細長い刃で木の表面を削り、形を整える工具を指します。

武器だけでなく、木工に用いる工具や装身具に関係するガラス玉まで副葬されていた点が注目されます。

これらがすべて被葬者本人の愛用品だったのか、葬儀のために選ばれた品だったのかは分かりません。

しかし、多種多様な品を集めて墓に納められる人物が、この地域に存在したことは確かです。

底に穴を開けた有段口辺壺

駒形大塚古墳では、口縁部が段状になった有段口辺壺も見つかりました。

この壺には底部に穴が開けられています。

底に穴がある器は、液体や食物を保存する日常の容器には適していません。

那珂川町は、埋葬に関わる祭祀に使われた土器とみています。

古墳の周囲で土器を並べたり、供え物をしたりした可能性は考えられますが、具体的な儀式の順序までは判明していません。

副葬品が被葬者と一緒に棺へ納められた品であるのに対し、底部を穿孔した壺は、墓の外側で行われた葬送儀礼を考える手がかりになります。

駒形大塚古墳の墳丘に見られる特徴

前方部は削られている

駒形大塚古墳の全長は60.5メートルですが、築造時の墳丘が完全な状態で残っているわけではありません。

前方部は削平を受けていますが、削られた経緯の詳細は町の文化財案内に記載されていません。

削平とは、地面の高まりを削って平らにすることです。

現在の姿だけを見ると前方部と後方部を組み合わせた形が分かりにくい場合がありますが、発掘調査によって前方部の輪郭と古い撥形の特徴が確認されました。

墳丘の形を復元して考えるには、現存する土の高まりだけでなく、調査で確認された地面の痕跡も重要です。

墳丘に葺石は確認されていない

古墳の斜面に石を敷き詰める構造を葺石といいます。

葺石には墳丘を保護する働きがあるほか、土の山を周囲の景観から際立たせる役割もあったと考えられています。

駒形大塚古墳では、発掘調査で墳丘の葺石は確認されませんでした。

同じ那須小川古墳群を構成する那須八幡塚古墳では葺石が確認されているため、近い地域の前方後方墳でも造り方に違いがあったことが分かります。

葺石がない理由は明らかではありません。

築造時期、地域の技術、儀礼の違いなどが関係した可能性はありますが、一つの要因だけで説明することはできません。

河岸段丘の東端が選ばれた

駒形大塚古墳は、那珂川に近い河岸段丘の最上面東端に築かれました。

川沿いの低地から見上げやすい場所であり、周囲を見渡せる地形です。

古墳時代の河川は、人や物資が移動する道としても重要だったと考えられています。

そのため、川に近い段丘上へ大型の墓を築くことには、有力者の存在を周囲へ示す意味があった可能性があります。

ただし、築造地を選んだ具体的な理由が文献に残っているわけではありません。

現地では墳丘だけでなく、段丘の縁と那珂川の位置関係にも目を向けると、この場所が持つ特徴を理解しやすくなります。

那須小川古墳群の中で最初に国史跡となった古墳

1979年に駒形大塚古墳が国史跡に指定

駒形大塚古墳は、1979年3月13日に国の史跡に指定されました。

指定当初は、駒形大塚古墳単独の史跡でした。

発掘された木炭槨、画文帯四獣鏡、豊富な鉄製品、埋葬に用いた土器群は、東日本の古墳出現期を考えるうえで重要な資料です。

特に、古い前方後方墳の形、埋葬施設、副葬品、葬送用とみられる土器が一緒に確認できることが、駒形大塚古墳の価値を高めています。

2002年に那須小川古墳群へ追加指定・名称変更

2002年12月19日には、吉田温泉神社古墳群と那須八幡塚古墳群が追加指定されました。

これに伴い、国史跡の名称は「那須小川古墳群」に変更されています。

那須小川古墳群は、次の3基の前方後方墳と21基の方墳で構成されます。

  • 駒形大塚古墳
  • 吉田温泉神社古墳
  • 那須八幡塚古墳
  • 吉田温泉神社古墳群などに分布する21基の方墳

大型の前方後方墳だけを個別に見るのではなく、規模の異なる古墳や葬送に関わる遺構をまとまりとして保存することで、古墳時代前期の那須地域にどのような社会が形成されていたのかを検討できます。

後の那須国造につながる地域の歴史

栃木県は、那須小川古墳群が展開する権津川流域を、後に那須国造が置かれた地域の中心地とみられる場所として紹介しています。

国造とは、古代の地域支配に関わった有力者や制度を表す言葉です。

駒形大塚古墳の被葬者は、那須地域を率いた有力者だったと考えられます。

しかし、名前を記した墓誌や同時代の文献は見つかっていません。

約1700年前の被葬者を、後世の史料に登場する特定の那須国造へ直接結び付けることはできません。

駒形大塚古墳は、具体的な人物名を示す墓ではなく、那須地域に早くから大きな墓を造る力を持つ集団が存在したことを示す遺跡として捉える必要があります。

駒形大塚古墳の見学情報

駒形公園として整備されている

  • 名称:駒形大塚古墳
  • 所在地:栃木県那須郡那珂川町小川
  • 見学場所:駒形公園
  • 見学時間:駒形大塚古墳について公式の見学時間は案内されていません
  • 見学料金:駒形大塚古墳について公式の料金は案内されていません
  • 問い合わせ先:那珂川町教育委員会生涯学習課文化財係
  • 電話:0287-96-3366

周囲は公園として整備されていますが、前方部には削られた部分があります。

現在見える形だけで築造当時の輪郭を判断せず、現地の説明板や墳丘図と見比べながら見学すると分かりやすくなります。

史跡を傷つけたり、立入制限のある場所へ入ったりせず、現地の案内に従ってください。

なす風土記の丘資料館で出土品を確認する

栃木県のデジタルミュージアムでは、駒形大塚古墳から出土した画文帯四獣鏡の所在地を「那珂川町なす風土記の丘資料館」、公開状況を「公開(有料)」と案内しています。

資料館の基本情報は次のとおりです。

  • 名称:那珂川町なす風土記の丘資料館
  • 住所:栃木県那須郡那珂川町小川3789
  • 開館時間:午前9時30分から午後5時まで
  • 最終入館:午後4時30分
  • 休館日:月曜日、祝日の翌日、年末年始、展示替期間
  • 一般入館料:100円
  • 高校生・大学生:50円
  • 小学生・中学生以下:無料
  • 電話:0287-96-3366

月曜日が祝日の場合や、祝日の翌日が土曜日・日曜日の場合などには開館します。

料金、休館日、展示内容は変更される可能性があるため、訪問前に公式サイトで最新情報を確認してください。

墳丘を見学する前に、資料館で画文帯四獣鏡や古墳の構造を確認すると、土の高まりの内側で何が見つかったのかを想像しやすくなります。

駒形大塚古墳に関するよくある質問

駒形大塚古墳は栃木県のどこにありますか?

栃木県那須郡那珂川町小川にあります。

現在の那須町ではなく、那珂川町にある点に注意してください。

周囲は駒形公園として整備されています。

駒形大塚古墳の中へ入れますか?

横穴式石室のように、入口から埋葬空間へ入る構造ではありません。

埋葬施設は後方部の墳頂下で発見された木炭槨であり、内部へ入って見学する古墳ではありません。

現地では墳丘の外観と立地を見学し、埋葬施設や出土品については説明板や資料館の展示で確認します。

画文帯四獣鏡は卑弥呼が受け取った鏡ですか?

駒形大塚古墳の画文帯四獣鏡は中国で作られた鏡ですが、卑弥呼が魏から受け取った鏡の一枚だと証明する資料はありません。

鏡がどの時期に、誰から、どのような経路で那須地域へ伝わったのかは分かっていません。

中国鏡という事実と、『魏志倭人伝』に記された鏡の話を根拠なく結び付けないことが大切です。

駒形大塚古墳には誰が葬られていますか?

被葬者の名前は分かっていません。

中国鏡や多数の鉄製品などを副葬されるほどの有力者だったと考えられますが、特定の那須国造や歴史上の人物と断定できる墓誌や文献は確認されていません。

画文帯四獣鏡は現在どこにありますか?

栃木県のデジタルミュージアムでは、那珂川町なす風土記の丘資料館で公開されている考古資料として登録されています。

展示替えなどにより見学できる資料が変わる場合があるため、鏡を見ることを目的に訪問する場合は、事前に資料館へ展示状況を確認してください。

まとめ

栃木県那珂川町の駒形大塚古墳は、全長60.5メートル、後方部の高さ約6.5メートルの前方後方墳です。

1974年の発掘調査では、後方部の墳頂下から木炭槨と考えられる埋葬施設が見つかり、画文帯四獣鏡、銅鏃、直刀、鉄剣、鉄斧、ヤリガンナ、ガラス玉などが出土しました。

朱を用いた埋葬や、底部を穿孔した有段口辺壺からは、被葬者の地位だけでなく、当時の葬送儀礼の一端もうかがえます。

被葬者の名前や鏡が伝わった経路は分かっていませんが、古い前方後方墳、木炭槨、中国鏡、豊富な副葬品を一体として確認できることが駒形大塚古墳の重要な価値です。

現在は那須小川古墳群を構成する国史跡として保存され、約1700年前の那須地域に有力者と広域的な交流網が存在したことを伝えています。

主な出典元

参考にした公的資料・研究情報

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