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栃木県の鶏塚古墳とは?鶏形埴輪と人物埴輪、横穴式石室の特徴を解説

古代遺跡と考古学
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栃木県真岡市京泉にある鶏塚古墳は、鶏をかたどった埴輪が出土したことで知られる、上から見た墳丘が円形の円墳です。

しかし、見どころは古墳名の由来となった鶏形埴輪だけではありません。

子どもを背負う女性や琴を弾く男性など、古墳時代の人物を生き生きと表した埴輪が、規則的に並べられていた点も注目されています。

ここでは、鶏塚古墳の築造年代や石室の構造、発掘の経緯、埴輪の配置から分かることを紹介します。

鶏と裸の女性の埴輪を天岩戸神話と結びつける見方についても、確認されている事実と解釈を分けて整理します。

鶏塚古墳とは

真岡市京泉に残る県指定史跡

鶏塚古墳の読み方は「にわとりづかこふん」です。

栃木県真岡市京泉のシトミ原にあり、京泉シトミ原古墳群を構成する古墳の一つです。

『真岡市史』では、京泉シトミ原古墳群13号墳として整理されています。

同古墳群の中では最大の円墳とされ、栃木県の公式情報には、南北径約20メートル、高さ約3メートルと記載されています。

1957年(昭和32年)8月30日には、栃木県指定の記念物・史跡となりました。

6世紀後半に築かれたと考えられている

鶏塚古墳は、横穴式石室の形や副葬品、円筒形に造られた円筒埴輪の特徴などから、古墳時代後期にあたる6世紀後半ごろの築造と考えられています。

横穴式石室とは、墳丘の側面から通路を設け、その奥に遺体を納める部屋を造った埋葬施設です。

築造年を示す文字資料は見つかっていないため、6世紀後半という年代は遺構や出土品を比較して導かれた推定です。

被葬者の名前も分かっていません。

発掘と調査の経緯

1885年の発掘で副葬品が見つかった

栃木県の文化財情報によると、鶏塚古墳は1885年(明治18年)に発掘され、石室から玉類や馬具などが出土しました。

現地説明板や『真岡市史』に基づく記録では、直刀、勾玉、管玉、鉄鏃、鈴釧、耳環、馬具類があったとされています。

鈴釧は小さな鈴を付けた腕輪、耳環は耳に着ける環状の装身具です。

武器だけでなく装身具や馬具も含まれていたことから、当時の葬送や被葬者の立場を考える手がかりになります。

ただし、これらの品だけから特定の人物名や氏族名を決めることはできません。

1930年から1931年の調査で形象埴輪が発見された

1930年から1931年(昭和5年から6年)には、墳丘西側の調査が行われました。

このとき、人物や動物などを表した形象埴輪が、二列に並んだ状態で確認されています。

鶏形埴輪のほか、子どもを背負う女性、裸の女性、琴を弾く男性など、珍しい造形を含む埴輪群が見つかりました。

単体の美術品として優れているだけでなく、どの場所に、どのような間隔で置かれていたのかが記録された点にも大きな価値があります。

墳丘と横穴式石室の構造

現在の墳丘は改変を受けている

鶏塚古墳は円墳ですが、周囲の開墾などによって原形の一部が失われています。

栃木県の文化財情報では南北径約20メートル、高さ約3メートルとされる一方、『真岡市史』をもとにした資料では東西約22メートル、南北約18メートル、高さ約2.8メートルとされています。

数値に違いがあるのは、改変後の不整形な墳丘をどの方向で測るかが資料によって異なるためと考えられます。

そのため、現在の数値を築造当初の正確な大きさとみなすことはできません。

石室は墳丘の南西側に開いている

埋葬施設は、墳丘の南西側に入口を設けた横穴式石室です。

奥へ向かって広がる羽子板のような平面形を持ち、天井には自然石の大石6枚が並べられています。

現地説明板では、側壁には玉石を積み、奥壁には2枚の巨石を重ねた構造と説明されています。

栃木県の公式資料は、石室が完全な状態で保存されているとしています。

一方で、現地は個人所有地であり、石室を一般公開する日時や入室条件は公式ページに掲載されていません。

保存状態がよいことと、自由に内部へ入れることは別であるため、見学時には注意が必要です。

鶏塚古墳の名前と出土埴輪

名前は多数の鶏形埴輪に由来する

「鶏塚」という名前は、1930年代初めの調査で、鶏形埴輪や鶏の首の部分が多数見つかったことに由来します。

復元研究では少なくとも4個体の鶏形埴輪が確認され、そのうち1個体は全体の形をよく残していました。

東京国立博物館が所蔵する代表的な鶏形埴輪は、高さ53.8センチメートルです。

とさかと、くちばしの下に垂れる肉垂には赤い色が施され、目は細い筒状の道具を押し当てて丸く表現されています。

体表を整えた道具の筋も羽毛の向きに沿うように残されており、製作者が鶏の特徴を意識して造形したことが分かります。

暮らしと儀礼を思わせる人物埴輪

鶏塚古墳から出土した人物埴輪には、当時の服装や装身具、行為を考える手がかりが残されています。

「子を背負う女子」は現存高41.2センチメートルで、女性が頭に壺を載せ、首飾りを身に着け、背中に子どもを負った姿です。

子どもまで一緒に表した母子の造形は珍しく、古墳時代の子育てを思わせる貴重な表現です。

「琴を弾く男子」は現存高35センチメートルで、腰の前に5本の弦を表した琴を置き、その琴には鈴も付けられています。

両手は失われていますが、残る腕の向きから、弦を弾く姿だったと考えられています。

「裸の女子」は高さ45センチメートルで、顔に鉄分を含む赤色顔料のベンガラを大胆に施した人物埴輪です。

裸で踊る女性を表した可能性が指摘されていますが、どのような儀礼の場面なのかは分かっていません。

ほかに、挂甲(けいこう)という小さな鉄板をつないだ甲冑を身に着け、大刀を抜こうとする武人埴輪も出土しています。

この武人埴輪は上半身と下半身を別々に造って組み合わせる特徴があり、似た作例が茨城県、栃木県、福島県で確認されています。

東京国立博物館は、この共通性から埴輪製作者の地域間交流がうかがえると解説しています。

二列に並んだ埴輪から分かること

12本の基底部が等間隔に残っていた

『真岡市史』の内容を収録した地域史料デジタルアーカイブによると、埴輪の底部にあたる基底部は一列に6本ずつ、合計12本が二列に並んでいました。

基底部は当時置かれた位置を保ち、埴輪同士の間隔はいずれも45センチメートルから46センチメートルほどでした。

確認された場所は、横穴式石室の入口に向かって左側にあたります。

復元では、人物埴輪が石室に近い右側、鶏形埴輪がその左側に配置されていたと考えられています。

女子像は6体、男子像は2体、鶏形埴輪は4個体が確認されました。

石室入口の反対側にも左右対称の埴輪群があった可能性が指摘されていますが、その場所は改変されており、実物の配置は確認できていません。

したがって、右側にも同じ群像があったという考えは、確定した事実ではなく復元案です。

埴輪は葬送空間を構成していた

埴輪が同じ間隔で二列に並び、人物と鶏の置かれる位置も分けられていたことから、無作為に置かれたものではないと考えられます。

人物や動物を組み合わせた形象埴輪群は、古墳で行われた葬送儀礼の一場面や、被葬者を取り巻く世界を表した可能性があります。

ただし、琴を弾く人、子を背負う人、裸の人、鶏が、それぞれ何の役割を示していたのかは解明されていません。

鶏塚古墳の重要性は、個性的な埴輪が多いことに加え、それらを一つの群像として検討できる点にあります。

鶏と裸の女性は天岩戸神話を表すのか

天岩戸神話を連想させる組み合わせ

文化遺産オンラインは、鶏形埴輪と裸の女性埴輪の組み合わせについて、『古事記』に記された天岩戸神話を思い起こさせると解説しています。

天岩戸神話では、天照大御神が岩屋に隠れた暗い世界で鶏が鳴き、天鈿女命が衣服をはだけて舞います。

鶏と裸で踊る女性という要素には、確かに鶏塚古墳の埴輪群と重なる部分があります。

神話の場面だったとは断定できない

鶏塚古墳が築かれたと考えられるのは6世紀後半ですが、現存する『古事記』が成立したのは8世紀初めです。

神話が文書化される前から伝えられていた可能性はあるものの、鶏塚古墳の埴輪に神名や物語を示す文字はありません。

そのため、埴輪群を天岩戸神話そのものの再現と断定することはできません。

考古学研究では、鳥形埴輪は鳥の種類によって登場時期や配置場所が異なり、すべてが同じ役割を持っていたわけではないと指摘されています。

鶏を夜明けや光と関係する神聖な鳥とみる説はありますが、鶏塚古墳での意味は今も検討の余地が残されています。

神話との類似は興味深い解釈の一つであり、発掘によって証明された事実とは分けて考える必要があります。

鶏塚古墳の歴史的な価値と未解明の点

小規模な円墳から多彩な埴輪群が出土した

鶏塚古墳は巨大な前方後円墳ではなく、現在の南北径が約20メートルの円墳です。

それにもかかわらず、子どもを背負う女性、琴を弾く男性、裸の人物、武人、鶏など、多種多様な形象埴輪が出土しました。

地域史料では、このような小円墳から特色ある形象埴輪がまとまって出土した例は極めて珍しいと評価されています。

さらに、埴輪の基底部が当時の位置に残っていたため、古墳時代の人々が群像をどのように構成したのかまで検討できます。

現在も分かっていないこと

鶏塚古墳には、調査後も結論が出ていない問題が残っています。

  • 被葬者の氏名や具体的な身分
  • 鶏形埴輪と人物埴輪が表した儀礼の内容
  • 裸の女性がどのような人物や役割を表すのか
  • 石室入口の反対側にも埴輪群が存在したのか
  • 改変される前の墳丘の正確な形と規模

これらを推測だけで埋めることはできませんが、分からない点が残るからこそ、配置記録や個々の造形を比較する研究が重要になります。

鶏塚古墳の見学情報

所在地と見学前の確認事項

  • 名称:鶏塚古墳
  • 読み方:にわとりづかこふん
  • 所在地:栃木県真岡市京泉シトミ原
  • 文化財指定:栃木県指定記念物・史跡
  • 指定日:1957年8月30日
  • 所有者:個人所有
  • アクセス:栃木県の公式文化財ページには記載がありません
  • 見学時間:公式な設定を確認できません
  • 料金:公式な設定を確認できません
  • 休場日:公式な設定を確認できません
  • 駐車場:専用駐車場の公式情報を確認できません
  • 問い合わせ先:真岡市教育委員会文化課文化財係
  • 電話番号:0285-83-7735

鶏塚古墳は、開館時間を定めた資料館や史跡公園ではなく、栃木県の文化財ページでは個人所有と明記されています。

公式ページにはアクセス方法や公開状況が掲載されていないため、訪問前に真岡市の文化財担当へ最新の見学方法を確認すると安心です。

私有地へ無断で立ち入ったり、墳丘や石室へ許可なく入ったりせず、現地の表示と所有者の案内に従ってください。

現地と出土品では異なる見どころがある

現地では、円墳として残る墳丘と、南西側に開く横穴式石室が重要な見どころです。

ただし、安全や保存上の理由から、石室内部を見学できるとは限りません。

代表的な鶏形埴輪や人物埴輪は東京国立博物館が所蔵し、文化遺産オンラインやColBaseでも画像と解説を確認できます。

所蔵品は常に展示されているとは限らないため、実物を見たい場合は東京国立博物館の最新の展示情報を確認してください。

鶏塚古墳についてよくある質問

鶏塚古墳の「鶏」は、鶏が埋葬されていたという意味ですか?

鶏が埋葬されていたことを示す名称ではありません。

鶏形埴輪の全体や首の部分が多数出土したことから、鶏塚古墳と呼ばれるようになりました。

鶏塚古墳出土の埴輪は、東京国立博物館でいつでも見られますか?

東京国立博物館が所蔵していても、常設展示でいつでも公開されているとは限りません。

展示替えや貸し出しもあるため、来館前に公式の展示予定を確認してください。

文化遺産オンラインやColBaseでは、鶏形埴輪や人物埴輪の画像をオンラインで閲覧できます。

鶏塚古墳の石室には入れますか?

栃木県の公式文化財ページには、公開状況や入室条件が記載されていません。

個人所有の史跡であるため、過去の訪問記だけを根拠に入室できると判断せず、真岡市の文化財担当へ最新情報を確認してください。

まとめ

鶏塚古墳は埴輪の造形と配置の両方が分かる史跡

鶏塚古墳は、栃木県真岡市京泉に残る6世紀後半ごろの円墳で、1957年に栃木県指定史跡となりました。

南西側に横穴式石室が開き、鶏形埴輪、子どもを背負う女性、琴を弾く男性、裸の女性、武人など、多彩な形象埴輪が出土しています。

特に重要なのは、12本の埴輪の基底部が二列に並び、45センチメートルから46センチメートルほどの等間隔を保っていたことです。

この記録によって、埴輪を一体ずつ見るだけでなく、葬送空間を構成した群像として考えることができます。

鶏と裸の女性は天岩戸神話を連想させますが、神話の場面を表したと証明されているわけではありません。

被葬者や埴輪群の具体的な意味には未解明の点が残る一方、古墳時代の造形、儀礼、地域間交流を考えるうえで貴重な史跡です。

参考にした公式・関連資料

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