茨城県潮来市の大生地区には、110基を超える古墳からなる「大生古墳群」が残されています。そのなかでも、ひときわ特徴的な形をしているのが鹿見塚古墳です。
鹿見塚古墳は、一般的な前方後円墳とは少し異なり、墳丘の片側にだけ「造出し」と呼ばれる張り出しを持っています。
さらに、後円部が高く突き出したように見えることから、茨城県教育委員会は「特異な墳形」と紹介しています。
しかし、なぜこのような形に造られたのか、誰が埋葬されたのか、「鹿見塚」という名称がどのように生まれたのかなど、明らかになっていない部分も少なくありません。
この記事では、鹿見塚古墳の規模や特徴、大生古墳群との関係、被葬者候補とされるオフ氏、鹿島神宮とのつながり、現地へのアクセスや見学時の注意点を詳しく解説します。
鹿見塚古墳とは?大生古墳群を代表する片耳式前方後円墳
鹿見塚古墳がある茨城県潮来市大生の場所
鹿見塚古墳は、茨城県潮来市大生890-2に位置する前方後円墳です。
周辺は北浦の西側に広がる大生原台地で、鹿見塚古墳だけでなく、円墳・方墳・前方後円墳など多数の古墳が分布しています。鹿見塚古墳が属する大生西部古墳群は、大生神社の西側に位置しています。
潮来市の市街地やJR潮来駅からはやや離れているため、現地を訪れる際は車やタクシーを利用するのが現実的です。潮来市公式サイトでは、JR潮来駅から車で約20分と案内されています。
全長約58メートルの墳丘規模
鹿見塚古墳の主軸は北西から南東方向に延びています。茨城県教育委員会が公表している主な規模は、次のとおりです。
墳丘の全長:約58メートル
前方部の幅:約32メートル
後円部の直径:約34メートル
後円部の高さ:約6メートル
墳形:片耳式前方後円墳
所在地:茨城県潮来市大生890-2
文化財区分:茨城県指定史跡
全長100メートルを超える巨大古墳ではありませんが、大生西部古墳群のなかでは重要な位置を占める古墳です。県の文化財情報では、鹿見塚古墳を同古墳群の「盟主的」な前方後円墳としています。
「片耳式前方後円墳」と呼ばれる理由
鹿見塚古墳の最大の特徴が、墳丘の西側に設けられた造出しです。
造出しとは、前方後円墳のくびれ部付近に設けられる方形や台形の張り出し部分を指します。
左右両側に造出しを持つ古墳もありますが、鹿見塚古墳では西側にだけ設けられているため、片側に耳が付いているような形に見えます。
このことから、鹿見塚古墳は「片耳式前方後円墳」と呼ばれています。
造出しは単なる装飾ではなく、埋葬に伴う儀礼や供物を捧げる祭祀空間だった可能性があります。
大生西部古墳群の造出しでは、土師器・須恵器・小型壺・玉類などが確認され、祭祀が行われた場所と考えられている例があります。
茨城県指定史跡として残る鹿見塚古墳
鹿見塚古墳は、1971年(昭和46年)10月28日に茨城県指定史跡となりました。管理者は潮来市教育委員会です。
一方、鹿見塚古墳を含む大生西部古墳群の区域は、「大生古墳群」として1975年(昭和50年)3月25日に茨城県指定史跡となっています。
つまり、鹿見塚古墳は最初に単独で指定され、その後、周囲に分布する古墳群も一体的な史跡として保護されるようになったと考えられます。
古墳時代のいつごろ築かれたのか
茨城県教育委員会と潮来市の文化財資料では、大生古墳群の築造時期を古墳時代中期としています。潮来市の資料では、古墳時代中期を5世紀ごろとして紹介しています。
ただし、大生古墳群には多数の古墳があり、すべてが同時期に造られたとは限りません。古墳ごとの形態や出土品には違いがあるため、古墳群は一定の期間にわたって築かれた可能性があります。
鹿見塚古墳についても、公式の文化財紹介では「古墳時代」または古墳群全体として「古墳時代中期」とされていますが、築造年を一つの年代に特定できるほど詳しい情報は公開されていません。
そのため、「5世紀ごろを中心に考えられているものの、正確な築造年代には検討の余地がある」と理解するのが適切です。
鹿見塚古墳の謎とは?特異な墳形と造出しを考察
後円部が高く突き出した不思議な形
鹿見塚古墳は、造出しだけでなく、後円部がとくに高く突き出している点でも知られています。茨城県教育委員会も、この形を「特異な墳形」と説明しています。
一般的な前方後円墳では、後円部の頂上にある程度の平坦面が設けられる例が多く見られます。しかし、鹿見塚古墳は後円部の中央部分が盛り上がり、遠くから見ると円錐形に近い印象を受けます。
なぜこのような形になったのかについて、公式資料では明確な説明が示されていません。
考えられる可能性には、次のようなものがあります。
築造当初から高く盛り上げられていた
埋葬施設の位置や構造が墳丘の形に影響した
後世の盛り土や土地利用によって形が変化した
長期間の浸食により周囲が削られ、中央部が高く見えるようになった
樹木や下草によって実際の輪郭とは異なって見える
ただし、これらはあくまで可能性です。詳細な発掘調査や墳丘測量の成果がそろわなければ、後円部の突出が築造当初からの設計だったのか、後世の変化なのかを断定することはできません。
片側だけの造出しは何を意味するのか
前方後円墳の造出しは、葬送儀礼や祭祀を行う場所だったと考えられています。
大生西部古墳群の資料では、造出し部分が礫によって上下二層に分けられ、土器や玉類などが出土した例が報告されています。
こうした出土状況から、造出しが儀礼の場だった可能性は高いと考えられます。
ただし、鹿見塚古墳では、なぜ造出しが西側だけに設けられたのでしょうか。
考えられる理由としては、儀礼を行う方向、周辺道路や集落との位置関係、大生神社や他の古墳との関係などが挙げられます。
しかし、現時点で特定の理由が証明されているわけではありません。
片側だけに造出しを設けること自体が、被葬者の地位や地域独自の葬送儀礼を表していた可能性もあります。鹿見塚古墳の片耳式墳形は、大生地区を支配した集団の文化を考えるうえで重要な手掛かりです。
現在の墳丘は築造当時の姿を残しているのか
大生古墳群は、古い状態を比較的良好に残す古墳群として評価されています。鹿見塚古墳も、前方部・後円部・造出しの形を現在まで確認できる貴重な古墳です。
しかし、約1500年前の姿が完全にそのまま残っているわけではありません。
古墳は長い年月のなかで、風雨による浸食、倒木、動物の活動、農地開発、道路整備などの影響を受けます。墳丘上に生えた樹木の根が盛り土を動かすこともあります。
現在見えている形から古代の姿を想像することはできますが、細かな傾斜や墳頂部の形まで築造当時と同じとは限りません。この点も鹿見塚古墳に残る謎の一つです。
「鹿見塚」という名称の由来
「鹿見塚」は「しかみづか」と読みます。
名称だけを見ると、「鹿を見るための塚」「鹿が見られた塚」といった由来を想像したくなります。しかし、茨城県教育委員会や潮来市の文化財紹介では、鹿見塚という名称の由来は説明されていません。
古墳の名前には、土地の小字名、地形、伝承、塚の外観、後世の利用方法などが反映されることがあります。
鹿見塚古墳も、古代の正式名称ではなく、後世に地域の人々が呼ぶようになった名称と考えるのが自然です。
ただし、確かな記録が確認されていない以上、「鹿を見張る場所だった」などと断定することはできません。名称の由来が明らかになっていないことも、鹿見塚古墳の興味深い謎です。
大生古墳群とオフ氏|鹿島神宮との関係を探る
110余基の古墳が集まる大生古墳群
大生古墳群は、北浦西岸の大生原台地に分布する茨城県内最大規模の古墳群です。
前方後円墳・円墳・方墳など110余基で構成され、分布状況から次の4つに大別されています。
大生西部古墳群
大生東部古墳群
カメ森古墳群
田ノ森古墳群
潮来市の資料では、大生東部古墳群が60基、大生西部古墳群が37基とされています。
大生西部古墳群には前方後円墳が5基あり、鹿見塚古墳、子子舞塚古墳、天神塚古墳、白幡八幡塚古墳などが含まれます。
県の文化財ページでは、大生西部古墳群の指定範囲を20数基、面積約8.8ヘクタールとしています。
資料によって基数が異なるのは、確認された古墳全体の数と、史跡として指定・保存されている範囲の数え方が異なるためと考えられます。
鹿見塚古墳が盟主的古墳とされる理由
鹿見塚古墳は、大生西部古墳群のなかで「盟主的古墳」と位置付けられています。
盟主墳とは、古墳群を築いた集団のなかでも、とくに強い権力を持った人物の墓と考えられる古墳です。
鹿見塚古墳が盟主的とされる理由には、次の点があります。
全長約58メートルの前方後円墳である
片側に造出しを持つ特徴的な構造である
後円部が高く、周囲の古墳とは異なる外観を持つ
大生西部古墳群の中心的な位置にある
単独でも茨城県指定史跡になっている
ただし、大生西部古墳群には鹿見塚古墳より大きいとされる子子舞塚古墳もあります。
そのため、鹿見塚古墳だけが古墳群全体で最大の首長墓だったというよりも、複数世代の有力者が異なる大型古墳に葬られた可能性があります。
被葬者候補とされるオフ氏とは
大生古墳群の被葬者候補として挙げられているのが、オフ氏です。
潮来市の資料では、「オフ氏(多氏・飯富氏)」と表記されています。大生地方を拠点とし、大生神社を奉斎していた一族とする説があります。
「オフ」という読みには、多氏・飯富氏など複数の表記があり、古代氏族との関係についてはさまざまな議論があります。
大生という地名との関係や、大和地方から移住した氏族だったとする伝承もありますが、鹿見塚古墳の被葬者名を直接記した墓誌などが発見されているわけではありません。
そのため、鹿見塚古墳の被葬者を特定の人物や氏族に断定するのは慎重であるべきです。
公式の文化財ページではオフ氏一族との関係が強く紹介されていますが、潮来市の資料には、鹿島神宮・大生神社・オフ氏の関係について現在も議論されていることが記されています。
大生古墳群と鹿島神宮のつながり
大生古墳群と鹿島神宮の関係を考えるうえで重要なのが、大生神社です。
大生神社は武甕槌命を祭神としており、鹿島神宮と同じ神を祀っています。また、大生古墳群は大生神社を中心に広がるように分布しています。
潮来市の資料では、大生西部古墳群の前方後円墳が、大生神社または鹿島神宮の方向を向いているという指摘も紹介されています。
さらに、大生神社の祭礼と鹿島神宮との関係を示す伝承や祭具も残っています。
こうした事実から、次のような関係が想定されています。
大生地区の有力者が鹿島信仰に関わっていた
大生神社を奉斎する一族と鹿島神宮の祭祀集団に交流があった
北浦周辺の交通や物資の管理を通じて勢力を築いた
大生古墳群が祭祀を担った氏族の墓域だった
ただし、古墳の向きだけで氏族関係や信仰を証明することはできません。大生古墳群と鹿島神宮の関係は有力な説である一方、今後も検討が必要なテーマです。
子子舞塚古墳や天神塚古墳の見どころ
鹿見塚古墳を訪れるなら、周辺の古墳にも注目してみましょう。
子子舞塚古墳
子子舞塚古墳は「まごまいづかこふん」と読み、大生西部古墳群を代表する大型古墳です。
潮来市の資料では全長約71.5メートルとされ、鹿見塚古墳よりも長い墳丘を持っています。発掘調査では埴輪や副葬品が確認され、古墳群の年代や埋葬儀礼を考えるうえで重要な古墳です。
ただし、鹿見塚古墳ほど墳形が分かりやすい状態ではない場所もあります。現地の案内表示や地図を確認しながら見学しましょう。
天神塚古墳
天神塚古墳も、大生西部古墳群を構成する代表的な古墳の一つです。
周囲には円墳や前方後円墳が点在しており、一つひとつの古墳だけを見るのではなく、台地全体が古代有力者の墓域だったことを意識して歩くと、大生古墳群の規模を実感できます。
ただし、古墳によっては私有地や樹林に近い場所もあります。道のない場所へ無理に入らず、案内板や見学可能な範囲から観察してください。
鹿見塚古墳へのアクセスと現地で確認したい見学ポイント
所在地とJR潮来駅からのアクセス
鹿見塚古墳の基本情報は次のとおりです。
名称:鹿見塚古墳
読み方:しかみづかこふん
所在地:茨城県潮来市大生890-2
文化財区分:茨城県指定史跡
最寄り駅:JR鹿島線・潮来駅
潮来駅から:車またはタクシーで約20分
管理者:潮来市教育委員会
駅から徒歩で向かうには距離があり、周辺の路線バスだけで訪れるのも容易ではありません。電車で潮来市を訪れる場合は、潮来駅からタクシーを利用する方法を検討するとよいでしょう。
車で訪れる場合のルート
車では、東関東自動車道の潮来インターチェンジから大生地区方面へ向かいます。観光情報では、潮来インターチェンジから鹿見塚古墳まで約8キロメートルと案内されています。
周辺には細い道路や分岐があるため、カーナビには「鹿見塚古墳」または所在地の「潮来市大生890-2」を設定しておくと安心です。
田畑や住宅に接する道もあるため、農作業車や地域住民の通行を妨げないよう、速度を落として走行してください。
駐車場所は事前確認がおすすめ
鹿見塚古墳について、茨城県や潮来市の文化財ページには、大規模な専用駐車場の詳しい案内が掲載されていません。
現地付近に数台分の駐車スペースがあるとする民間の訪問情報はありますが、常に利用できるとは限りません。路上や農地の出入口、私有地には駐車しないようにしてください。
確実な駐車場所を知りたい場合は、訪問前に潮来市の文化財担当部署へ確認するのが安心です。
大生神社や周辺施設の駐車場所を利用する場合も、参拝者用かどうか、古墳見学者が利用してよいかを現地で確認しましょう。
後円部の突出と西側の造出しを観察する
鹿見塚古墳では、次の点を意識すると特徴を理解しやすくなります。
前方部と後円部の高さの違い
高く盛り上がった後円部
前方部と後円部をつなぐくびれ部
西側に張り出した造出し
周辺の地形や他の古墳との位置関係
大生神社や鹿島神宮の方向
墳丘のすぐ近くから見ると、全体の形が分かりにくいことがあります。少し距離を取って観察し、前方部・後円部・造出しの位置関係を確認してみましょう。
下草が伸びる時期には造出しの輪郭が見えにくくなるため、現地写真や案内図を確認してから歩くと理解しやすくなります。
大生神社と古墳群を巡る散策コース
鹿見塚古墳と大生神社は、同じ大生地区にあります。古墳だけでなく神社も巡ることで、大生古墳群と古代祭祀の関係をより深く考えられます。
おすすめの順路は次のとおりです。
1:鹿見塚古墳で墳丘と造出しを観察する
2:周辺の案内表示を確認する
3:見学可能な範囲から周辺古墳を見る
4:大生神社へ移動する
5:社殿と周囲の樹叢を見学する
時間に余裕があれば、子子舞塚古墳や天神塚古墳の位置も確認してみましょう。
ただし、古墳群全体には樹林や道の分かりにくい場所があります。無理にすべての古墳を探すのではなく、整備された場所と公道から見学できる範囲を中心に歩くのがおすすめです。
見学に適した季節と服装
鹿見塚古墳の見学に向いているのは、晩秋から春先です。
夏は草木が茂り、墳丘の輪郭が見えにくくなります。蚊・ハチ・マダニなどにも注意が必要です。冬から早春にかけては下草が少なく、前方後円墳の形を比較的確認しやすくなります。
見学時は、次のような服装を準備しましょう。
滑りにくい運動靴やトレッキングシューズ
長袖・長ズボン
虫よけ
帽子
雨上がりに備えた防水性のある靴
飲料水
スマートフォンや紙の地図
文化財を守るため、墳丘を削る、土や石を持ち帰る、植物を採取する、立入禁止区域へ入るといった行為は避けてください。
鹿見塚古墳についてよくある質問
鹿見塚古墳は自由に見学できますか?
鹿見塚古墳は屋外に残る史跡で、公的な文化財ページには入場料や開館時間の記載がありません。
ただし、墳丘上を含むすべての場所へ自由に立ち入れるという意味ではありません。現地の柵、案内板、立入禁止表示に従い、見学可能な範囲から観察してください。
草刈りや文化財保護作業などで、一時的に見学範囲が変わる可能性もあります。
鹿見塚古墳には駐車場がありますか?
周辺に小規模な駐車スペースがあるとする訪問情報はありますが、潮来市や茨城県の文化財ページでは、専用駐車場の台数や利用条件が詳しく案内されていません。
確実な駐車場所を確認したい場合は、訪問前に潮来市へ問い合わせることをおすすめします。路上、農地の出入口、私有地への駐車は避けてください。
見学にはどのくらい時間がかかりますか?
鹿見塚古墳だけを観察する場合は、15分から30分程度が目安です。
大生神社や周辺古墳も巡る場合は、移動時間を含めて1時間から1時間30分ほど見ておくと、落ち着いて見学できます。
道を探す時間や草木の状態によって変わるため、日没直前の訪問は避けたほうが安心です。
古墳の内部や埋葬施設は公開されていますか?
鹿見塚古墳の石棺や埋葬施設を、現地で内部見学できる形では公開していません。
大生西部古墳群では、過去の発掘調査によって箱式石棺、人骨、土器、玉類などが確認されています。しかし、古墳内部に入る見学施設ではなく、地上に残る墳丘や造出しを観察する史跡です。
大生古墳群と大生神社は一緒に巡れますか?
鹿見塚古墳が属する大生西部古墳群は、大生神社の西側に位置しているため、一緒に巡ることができます。
大生神社は鹿島神宮と同じ武甕槌命を祀り、古墳群の被葬者候補とされるオフ氏との関係も伝えられています。鹿見塚古墳と大生神社をあわせて見学すると、古墳・氏族・神社祭祀のつながりを考えやすくなります。
まとめ
鹿見塚古墳は、茨城県潮来市の大生古墳群に残る、全長約58メートルの前方後円墳です。
西側にだけ造出しを持つことから「片耳式前方後円墳」と呼ばれ、後円部が高く突き出した特異な形でも知られています。
大生古墳群は110余基の古墳で構成される茨城県内最大規模の古墳群です。鹿見塚古墳をはじめ、子子舞塚古墳や天神塚古墳などがあり、古代の大生地区に大きな勢力を持つ集団が存在していたことを伝えています。
被葬者については、鹿島神宮と関係が深かったオフ氏一族とする説があります。しかし、被葬者名を直接証明する資料はなく、大生神社・鹿島神宮・オフ氏の関係には、現在も検討すべき点が残されています。
また、後円部が高い理由、片側だけに造出しが設けられた理由、「鹿見塚」という名称の由来も明確には分かっていません。
鹿見塚古墳は、分かっていることだけでなく、分からないことを考える面白さを持った史跡です。現地を訪れた際は、墳丘の形だけでなく、大生原台地の地形、大生神社との位置関係、周辺に点在する古墳にも注目してみてください。
主な出典元

関東 古墳探訪ベストガイド 新装改訂版 [ 古代浪漫探究会 ]


