塚山古墳群は、栃木県宇都宮市西川田にある古墳時代中期を中心とした古墳群です。
主墳の塚山古墳をはじめ、塚山西古墳、塚山南古墳という3基の前方後円墳が近接して築かれています。
かつては20基を超える古墳があったとされ、円筒埴輪を棺として使った埴輪棺も複数発見されました。
住宅地と道路に囲まれた現在の景観からは想像しにくいものの、5世紀後半から6世紀初頭にかけて、この地域に有力な集団が存在したことを伝える重要な遺跡です。
ここでは、塚山古墳群の築造年代や構成、3基の前方後円墳の違い、出土品、最新の発掘成果、見学情報を紹介します。
塚山古墳群の基本情報
宇都宮市南部に残る古墳群
塚山古墳群は、宇都宮市西川田7丁目から西川田東町周辺に広がる古墳群です。
栃木県総合運動公園の南側に位置し、古くは「兵庫塚古墳群」とも呼ばれていました。
塚山古墳、塚山西古墳、塚山南古墳の3基は、いずれも栃木県指定史跡です。
主墳の塚山古墳は1953年11月10日に指定され、塚山西古墳と塚山南古墳は1973年4月13日に指定されました。
築造年代は、塚山古墳が5世紀後半頃、塚山西古墳が5世紀末頃、塚山南古墳が5世紀末から6世紀初頭頃と考えられています。
この順序が正しければ、同じ地域を基盤とした有力者たちが、世代を重ねながら古墳を築いた可能性があります。
ただし、誰が埋葬されたのかを示す文字資料は見つかっていません。
現存数と確認された古墳数が異なる理由
塚山古墳群には、かつて20基を超える古墳が群在していたと伝えられています。
現在、墳丘を確認できるのは、塚山古墳、塚山西古墳、塚山南古墳、円墳の塚山6号墳の4基です。
一方、過去の発掘調査では、すでに盛土を失った古墳や埴輪棺も確認されています。
さらに、2025年に行われた古墳群南側の調査では、9号墳、10号墳、11号墳の3基が新たに確認されました。
そのため、資料に記載される古墳数は、「地上に墳丘が残る古墳」を数えるか、「地下の周溝などから存在が確認された古墳」まで含めるかによって変わります。
塚山古墳群を構成する主な古墳
塚山古墳は全長約98メートルの主墳
塚山古墳は、古墳群の中心となる大型の前方後円墳です。
全長は約98メートルで、前方部の幅は約55メートル、後円部の直径は約50メートル、高さはいずれも約8メートルあります。
墳丘は三段に築かれ、斜面の一部には葺石が置かれていました。
葺石とは、墳丘の表面を保護し、外観を整えるために並べられた石のことです。
前方部と後円部が接する「くびれ部」の南側には、台形に張り出した造出も設けられています。
造出は、祭祀や供物を置く場として使われた可能性が考えられている施設です。
墳丘の周囲には盾形の周溝が巡り、周溝まで含めた範囲は全長約130メートルに達すると推定されています。
墳丘の一部は後世の道路によって削られていますが、前方後円墳の形と三段構造は現在も確認できます。
塚山古墳は、3基の前方後円墳の中で最初に築かれたと考えられています。
塚山西古墳は前方部の短い帆立貝形
塚山西古墳は、塚山古墳の南西側にある帆立貝形の前方後円墳です。
帆立貝形とは、後円部に対して前方部が短く、上空から見ると帆立貝に似た形をした古墳を指します。
全長は資料によって約61メートルまたは約63メートルとされ、後円部は直径約46メートル、高さ約5メートルです。
前方部の幅は約22メートルですが、上部が削られているため、本来の高さは分かっていません。
1976年に行われた調査では、幅約5.5~16.5メートルの周溝が確認され、円筒埴輪、土師器、須恵器の破片が出土しました。
周溝は先に存在した塚山古墳を避けるように掘られています。
この位置関係は、塚山西古墳が主墳より後に築かれたと判断する手がかりになっています。
塚山南古墳は3基の中で最後に築かれた
塚山南古墳は、塚山古墳の南側に隣接する帆立貝形の前方後円墳です。
前方部を南へ向け、全長は約58メートルあります。
後円部は直径約35~40メートル、高さ約6メートルで、前方部の幅は約18メートル、高さは2メートル以下です。
周溝からは埴輪や土師器、須恵器が出土しています。
出土した土器や墳丘の関係から、塚山西古墳より少し新しく、3基の前方後円墳の中では最後に築かれたと考えられています。
塚山6号墳は現存する円墳
塚山6号墳は、3基の前方後円墳とともに墳丘が残る円墳です。
直径は約20メートルとされ、円筒埴輪や土器が確認されています。
大型の首長墓だけでなく、規模や形の異なる古墳が同じ範囲に築かれたことは、塚山古墳群を利用した集団の構成を考えるうえで重要です。
発掘調査で見つかった出土品と埋葬施設
円筒埴輪や土器が築造年代を伝える
塚山古墳群では、円筒埴輪、朝顔形埴輪、物や動物などを表した形象埴輪の破片が確認されています。
円筒埴輪は、筒のような形をした埴輪で、墳丘や祭祀の場を区切るように並べられました。
土師器や須恵器も出土しており、古墳が築かれた時期や葬送儀礼の内容を検討する資料になっています。
1991年から1993年にかけて行われた道路改良工事に伴う調査では、古墳や埴輪棺、土坑が確認されました。
この調査では、勾玉、管玉、ガラス小玉などの装身具も出土しています。
塚山5号墳からは木棺の痕跡と玉類が見つかっており、大型前方後円墳の周辺に葬られた人々の存在を知る手がかりとなりました。
鹿が線刻された円筒埴輪
塚山古墳群を特徴づける出土品の一つが、埴輪棺として使われた円筒埴輪です。
埴輪棺とは、円筒埴輪などを転用して遺体を納めた棺を指します。
古墳群内では複数の埴輪棺が見つかり、そのうちの一つには4頭の鹿が線で刻まれていました。
鹿はメス、オス、メス、オスの順に描かれ、その下には大きな「×」形の線刻があります。
表面には赤色顔料も塗られていました。
栃木県の資料では、鹿を霊的な動物とみなし、死者を守る意味で描かれた可能性が示されています。
ただし、絵の意味を直接説明する文字資料はなく、確定した解釈ではありません。
2025年の調査で分かった新たな古墳群の姿
南側斜面で9号墳・10号墳・11号墳を確認
2025年4月から6月に行われた発掘調査では、塚山古墳群の南側斜面から3基の古墳が確認されました。
調査成果は、宇都宮市教育委員会が2026年2月に発行した『塚山古墳群Ⅱ』にまとめられています。
9号墳の周溝からは、須恵器の大きな甕を中心として、坏、高坏、小形壺など多くの土師器と須恵器が出土しました。
土器が置かれた状態から、古墳の周囲で行われた祭祀の様子を考えることができる貴重な事例と評価されています。
11号墳では、板状の石を箱形に組んだ箱式石棺が埋葬施設として確認されました。
また、古墳とは別の第5号土坑からは、馬の口に装着する馬具である轡が出土しています。
首長だけではない集団の構成が見えてきた
塚山古墳、塚山西古墳、塚山南古墳は、地域を治めた首長層の墓と考えられています。
一方、新たに確認された小規模な古墳や埋葬施設は、その下に位置する階層の人々も同じ墓域に葬られていた可能性を示します。
2025年の調査は、塚山古墳群が3基の有力者の墓だけではなく、大小の墓で構成された集団墓地だったことを具体的に示した点で重要です。
塚山古墳群から分かる古墳時代の宇都宮
5世紀後半の有力な地域集団
全長約98メートルの前方後円墳を築くには、大量の土を運び、墳丘を設計し、埴輪や土器を用意する必要がありました。
塚山古墳の規模と構造からは、5世紀後半の宇都宮南部に、多くの人員や物資を動かせる有力な集団が存在したことがうかがえます。
前方後円墳、葺石、造出、埴輪といった要素は、当時のヤマト王権の影響が及んだ各地の有力者の墓にも見られます。
塚山古墳群も、広域で共有された古墳祭祀の仕組みに参加していたと考えられます。
ただし、形や出土品が共通することだけで、ヤマト王権との具体的な政治関係まで確定することはできません。
被葬者を特定できる資料は見つかっていない
宇都宮周辺は、後の文献に登場する下毛野氏の基盤と関連づけて説明される地域です。
しかし、塚山古墳群の被葬者を下毛野氏の特定人物と結びつける銘文や文献記録は確認されていません。
現在のところ、3基の前方後円墳には、この地域を支配した首長一族が順に葬られたという見方が有力です。
個人名や詳しい系譜については分かっていないため、伝承上の人物を被葬者として断定することはできません。
塚山古墳群に残る謎
すべての古墳の範囲は確定していない
塚山古墳群では、多くの墳丘が開発や耕作によって地表から失われました。
地下に残る周溝や埋葬施設が調査によって発見される可能性があり、古墳群の正確な範囲や総数は今後変わることがあります。
2025年の調査で3基が確認されたことも、見えなくなった古墳が周辺に残っていることを示しています。
鹿の線刻に込められた意味
鹿を描いた円筒埴輪は、当時の人々の死生観や動物観を考えるうえで興味深い資料です。
死者の守護、狩猟との関係、儀礼上の象徴などが考えられますが、どの解釈も決定的ではありません。
男女を思わせる雌雄の鹿を交互に描いた理由も、現在まで明らかになっていません。
塚山古墳群の見学情報
所在地・アクセス・料金
- 名称:塚山古墳群(観光案内では「塚山古墳」)
- 所在地:栃木県宇都宮市西川田7丁目
- 住所:〒321-0152 栃木県宇都宮市西川田7丁目4
- 見学時間:常時開放
- 料金:無料
- 休み:なし
- 車でのアクセス:東北自動車道鹿沼ICから約15分、宇都宮ICから約30分、北関東自動車道宇都宮上三川ICから約15分
- 公共交通機関:JR宇都宮駅から関東バス「西川田東」行きなどで約35分、終点下車後、徒歩約20分
- 駐車場:古墳専用駐車場はありません。栃木県総合運動公園の駐車場を利用します
- 特徴:3基の前方後円墳と円墳が残り、墳丘にはツツジなどが植えられています
- 見学時の注意点:県指定史跡であり、古墳の一部は個人所有です。立入禁止の場所に入らず、墳丘や植栽を傷つけないように見学してください
施設情報や交通状況は変更される場合があるため、訪問前に宇都宮観光ナビなどの最新情報を確認してください。
三段に築かれた墳丘を植栽から観察できる
塚山古墳では、段に沿って植えられたツツジによって、墳丘が三段に築かれている様子を観察できます。
墳丘の周囲を縁取る植栽は、周溝の範囲を理解する手がかりにもなっています。
例年は4月下旬頃にツツジが見頃を迎えますが、開花や花付きは年によって異なります。
塚山古墳の大きさを確かめた後、塚山西古墳と塚山南古墳の短い前方部を見比べると、同じ古墳群の中でも形や規模が異なることが分かります。
塚山古墳群に関するよくある質問
塚山古墳群と塚山古墳は同じものですか?
塚山古墳は、塚山古墳群を構成する主墳の名称です。
塚山古墳群には、塚山西古墳、塚山南古墳、塚山6号墳のほか、発掘調査で確認された小規模な古墳や埴輪棺が含まれます。
観光案内では、古墳群全体を紹介するページが「塚山古墳」という名称になっている場合があります。
鹿が描かれた円筒埴輪は現地で見られますか?
鹿が線刻された円筒埴輪は、栃木県立博物館が管理しています。
常設展示されているとは限らないため、実物を見たい場合は、展示状況を博物館へ事前に確認してください。
塚山古墳群は下毛野氏の墓ですか?
塚山古墳群がある宇都宮周辺は、後世の下毛野氏と関係の深い地域として説明されています。
しかし、古墳から被葬者名を示す資料は出土していません。
下毛野氏の特定人物の墓と断定せず、5世紀後半から6世紀初頭に地域を支配した首長一族の墓と考えるのが適切です。
まとめ
塚山古墳群は地域社会の構成を伝える重要な遺跡
塚山古墳群は、5世紀後半から6世紀初頭にかけて築かれた、宇都宮市西川田の古墳群です。
主墳の塚山古墳は全長約98メートルの前方後円墳で、三段の墳丘、葺石、造出、盾形の周溝を備えています。
その後に帆立貝形の塚山西古墳と塚山南古墳が築かれ、周辺には小型の円墳や埴輪棺も設けられました。
円筒埴輪や土器、玉類、鹿を線刻した埴輪棺は、当時の葬送儀礼を知る貴重な資料です。
2025年の調査で新たな古墳と祭祀遺構が確認されたことにより、首長だけでなく、その集団に属したさまざまな階層の人々が同じ墓域に葬られていた可能性も見えてきました。
被葬者の名前や鹿の線刻の意味などは、現在も分かっていません。
都市の中に残る墳丘を見比べることで、古墳の規模だけではなく、かつてこの地に暮らした集団の広がりまで感じられる遺跡です。


