栃木県那須郡那珂川町にある那須小川古墳群は、古墳時代前期に築かれた国指定史跡です。
駒形大塚古墳、吉田温泉神社古墳、那須八幡塚古墳という3基の前方後方墳を中心に、多数の方墳が権津川の流域に分布しています。
中国で作られた鏡や豊富な鉄製品が出土しているほか、吉田温泉神社古墳のそばでは葬送儀礼に使われた可能性のある遺構も確認されました。
ここでは、那須小川古墳群の構成、代表的な古墳、出土品、歴史的価値、現在も分かっていない点を初心者にも分かりやすく紹介します。
那須小川古墳群とは
栃木県那珂川町の権津川流域に広がる古墳群
那須小川古墳群の読み方は「なすおがわこふんぐん」です。
所在地は栃木県那須郡那珂川町の小川・吉田地区で、那珂川の支流である権津川周辺の河岸段丘に築かれています。
河岸段丘とは、川の流れによる浸食などによって形成された階段状の地形です。
古墳は低地を見渡せる段丘の縁に並び、川沿いの景観を意識して造られたことがうかがえます。
那珂川町の公式情報では、那須小川古墳群は古墳時代前期の約1700年から1600年前に築かれた古墳群と説明されています。
栃木県の文化財情報では、より広く3世紀後半から4世紀にかけて造られた、関東地方でも古い時期の前方後方墳群として位置付けられています。
細かな築造年代は古墳ごとに異なるため、古墳群全体を一度に完成させたものではありません。
3基の前方後方墳と21基の方墳からなる
那須小川古墳群は、3基の前方後方墳と21基の方墳で構成されています。
前方後方墳とは、上から見ると四角形の前方部と四角形の後方部を組み合わせた形の古墳です。
鍵穴のような形で知られる前方後円墳とは異なり、遺体を納めた中心部分が方形になっています。
3基の前方後方墳は、駒形大塚古墳、吉田温泉神社古墳、那須八幡塚古墳です。
方墳は平面が四角形の古墳で、吉田温泉神社古墳群に20基、那須八幡塚古墳群に吉田富士山古墳が1基含まれます。
規模や構造の異なる古墳がまとまって残るため、地域を率いた人物だけでなく、その周囲にいた人々の階層を考える手がかりにもなります。
駒形大塚古墳から範囲を広げて国史跡になった
駒形大塚古墳は、1979年3月13日に国の史跡に指定されました。
その後、2002年12月19日に吉田温泉神社古墳群と那須八幡塚古墳群が追加指定され、名称も「那須小川古墳群」へ変更されました。
一つの大型古墳だけでなく、周囲に並ぶ大小の古墳や葬送に関係する遺構まで含めて保存することで、古墳時代前期の地域社会をまとまりとして理解できる史跡になっています。
那須小川古墳群が築かれた時代背景
東日本でも大型古墳が造られ始めた時期
古墳時代前期には、西日本だけでなく東日本でも有力者のための大きな墳墓が造られるようになりました。
那須小川古墳群は、その動きを栃木県北東部で示す重要な遺跡です。
前方後方墳という共通した形、埋葬に用いられた土器、遠方からもたらされた鏡などからは、那須地域の人々が周辺地域と交流していたことが分かります。
ただし、同じような墳形や副葬品が見つかったことだけで、那須地域が大和の政権から直接統治されていたと断定することはできません。
古墳の形や副葬品は、各地の有力者同士が結んだ政治的・儀礼的な関係を考えるための資料です。
河川を見渡せる場所に古墳が並ぶ
駒形大塚古墳は那珂川の河岸段丘上にあり、吉田温泉神社古墳群と那須八幡塚古墳群は那珂川と権津川の合流地点を見下ろす段丘の縁に分布しています。
吉田温泉神社古墳群と那須八幡塚古墳群を合わせた前期古墳は、南北約1キロメートルにわたって並んでいます。
河川は移動や物資の運搬に利用されたと考えられるため、川を望む立地は地域の有力者が交通や土地との関わりを示すうえで重要だった可能性があります。
もっとも、古墳の向きや配置にどのような意味が込められていたのかは、完全には分かっていません。
後世の那須国造との関係
栃木県は、那須小川古墳群がある地域を、後に那須国造が置かれた地域の中心地とみられる場所として紹介しています。
国造とは、古代の地域支配に関わった有力者やその制度を表す言葉です。
那須小川古墳群の被葬者を、後世の史料に登場する特定の国造へそのまま結び付けることはできません。
しかし、この地域に早い段階から大きな古墳を築く有力者層が存在したことは、後の那須地域の歴史を考えるうえでも注目されます。
那須小川古墳群を代表する古墳
駒形大塚古墳
駒形大塚古墳は、主軸を東西方向に置く全長60.5メートルの前方後方墳です。
後方部の高さは約6.5メートルで、前方部は削られているものの、前端に向かって少し広がる古い形式の形が確認されています。
1974年の発掘調査では、後方部の墳頂から木炭槨と考えられる埋葬施設が発見されました。
木炭槨とは、木棺の周囲を木炭で覆った埋葬施設です。
埋葬施設は東西約5.4メートル、南北約1.6メートルと推測されています。
内部からは画文帯四獣鏡、銅鏃、直刀、刀子、鉄剣、ヤリガンナ、鉄斧、ガラス玉などが出土しました。
副葬品には赤い朱が付着しており、遺体と品々を木棺に納めた後、朱を振りかけたと考えられています。
墳丘に葺石は確認されていません。
周辺は現在、駒形公園として整備されています。
吉田温泉神社古墳
吉田温泉神社古墳は、主軸を東西方向に置く全長47メートルの前方後方墳です。
前方部には温泉神社が祀られ、古墳の形が残っています。
一方、後方部は昭和初期に削られたため、築造当時の姿を完全にはとどめていません。
この古墳で特に注目されるのは、墳丘の北西側で見つかった一辺約8メートルの竪穴建物跡です。
古墳の周溝は、この建物跡を避けるように掘られていました。
建物の内部では、祭壇状の高まりに供献用とみられる土器が整然と置かれた状態で出土しています。
こうした発掘状況から、古墳に伴う葬送儀礼や「殯」に関係する施設だった可能性が指摘されています。
那須八幡塚古墳
那須八幡塚古墳も、主軸を東西方向に置く全長60.5メートルの前方後方墳です。
1953年の発掘調査では、後方部の墳頂下から木棺を直接埋めたとみられる施設が見つかりました。
木棺の両端は粘土の塊で押さえられ、被葬者の頭は東を向いていたと推定されています。
副葬品には中国鏡の夔鳳鏡、鉄剣、鉄鋸、鉄斧、鉄鎌、ヤリガンナなどが含まれていました。
1991年度の整備に伴う調査では、墳丘斜面の葺石、両角を切り落としたような前方部、不規則な形の周溝などが確認されました。
周溝などからは、底に穴を開けた有段口辺壺、器台、高坏、鉢も出土しています。
那珂川町の現在の解説では、これらの土器から4世紀後半の築造と考えられています。
墳丘は調査成果に基づき、一部が復元されています。
吉田温泉神社古墳群の方墳と吉田富士山古墳
吉田温泉神社古墳の周囲には、一辺約5.5メートルから30メートルの方墳20基が、南北約400メートルにわたっておおむね2列に並んでいます。
葺石や土橋を持つ古墳がある一方、規模や出土品には違いがあります。
これらの差は、古墳を築いた人々の間に立場や役割の違いがあった可能性を示しています。
那須八幡塚古墳から南へ約300メートルの場所には、一辺30メートルの方墳である吉田富士山古墳があります。
吉田富士山古墳は私有地内にあり、1953年には栃木県指定史跡第1号に指定されました。
1970年の発掘調査では、古墳の近くから2軒の竪穴住居跡も確認されています。
中国鏡と鉄製品から分かること
画文帯四獣鏡と夔鳳鏡
駒形大塚古墳から出土した画文帯四獣鏡と、那須八幡塚古墳から出土した夔鳳鏡は、いずれも中国で作られた鏡とされています。
画文帯四獣鏡は、文様を描いた帯と四獣の表現を持つ鏡です。
夔鳳鏡は、古代中国の想像上の動物である夔や鳳凰に関係する文様を表した鏡です。
当時の鏡は日用品というだけでなく、所有者の地位や広域的なつながりを示す重要な品でもありました。
那須地域の有力者が中国から直接入手したと判断できる証拠はなく、日本列島内の複数の勢力を介して伝わった可能性も考える必要があります。
二つの古墳から中国鏡が見つかった事実は、東日本の内陸部にまで貴重な品が届く交流網が存在したことを示しています。
武器だけではない多様な鉄製品
駒形大塚古墳と那須八幡塚古墳からは、鉄剣や直刀などの武器だけでなく、斧、鎌、鋸、ヤリガンナなどの工具類も出土しています。
ヤリガンナは、木材の表面を削って整えるための細長い工具です。
豊富な鉄製品は、被葬者の権威を示す副葬品であると同時に、古墳時代前期の技術や生産活動を知る資料でもあります。
ただし、すべてが被葬者本人の愛用品だったのか、葬送のために選ばれた品なのかは分かっていません。
底に穴を開けた土器と葬送儀礼
複数の古墳からは、口縁部が段状になった有段口辺壺が出土しています。
底に穴を開けたものもあり、液体や食物を保存する通常の容器としては使いにくい形です。
そのため、古墳で行われた儀礼のために用意された土器と考えられています。
埋葬施設や副葬品だけでなく、周溝や古墳周辺から出土した土器を調べることで、死者を葬る際にどのような行為が行われたのかを検討できます。
吉田温泉神社古墳で見つかった「殯」の可能性
殯とは埋葬まで死者を安置する儀礼
殯は「もがり」と読み、古代に死者をすぐ埋葬せず、一定期間安置して別れの儀礼を行うことを指します。
吉田温泉神社古墳のそばで見つかった竪穴建物跡は、古墳の周溝との位置関係や、内部に整然と置かれた供献土器から、葬送に関係する施設と考えられています。
古墳は完成した墳丘だけを見ても、葬儀がどのように進められたのかまでは分かりません。
そのため、古墳の近くに儀礼用と考えられる施設が残っていたことは、死から埋葬までの過程を考える貴重な手がかりです。
殯の施設と断定されているわけではない
竪穴建物跡は、殯に関係する施設だけでなく、古墳の造営や管理に用いられた可能性も検討されています。
文字による記録が残っているわけではないため、建物の具体的な名称や使い方は確定していません。
発掘された配置と遺物から導かれた有力な解釈として、葬送儀礼との関係が指摘されている段階です。
このように、確認された遺構と研究上の解釈を分けて理解することが大切です。
那須小川古墳群の歴史的価値と未解明の点
古墳だけでなく地域社会の構造を考えられる
那須小川古墳群には、大型の前方後方墳、規模の異なる方墳、埋葬施設、周溝、儀礼用土器、葬送に関係する可能性のある建物跡が残されています。
これらを一緒に調べることで、古墳時代前期の有力者がどのように葬られ、その周囲にどのような人々がいたのかを考えられます。
特に、方墳の大きさや設備、出土品に差があることは、古墳を造った集団の内部に階層があった可能性を示します。
古墳群全体が国史跡として保存されている理由は、地域社会の構造や葬送の過程を複数の遺構から検討できる点にあります。
被葬者の名前は分かっていない
3基の前方後方墳には、那須地域を率いた有力者が葬られたと考えられます。
しかし、被葬者の名前を記した墓誌や同時代の文献は確認されていません。
中国鏡や鉄製品を持つ人物であったことは分かっても、それが誰だったのか、3基の被葬者が血縁関係にあったのかは不明です。
後世の那須国造や歴史上の人物を、根拠なく被葬者と断定することはできません。
古墳の変化が何を表すのかは研究が続いている
3基の前方後方墳は大きさが近い一方、葺石の有無、埋葬施設、前方部の形、出土した土器などに違いがあります。
こうした違いは築造時期の変化だけでなく、儀礼や集団の構成が変わった可能性も考えさせます。
どのような集団が古墳造営を担い、周囲の方墳に葬られた人々とどのような関係を結んでいたのかについては、今後も周辺遺跡を含めた検討が必要です。
那須小川古墳群の見学情報
史跡は那珂川町小川・吉田地区に分散している
- 名称:国指定史跡 那須小川古墳群
- 所在地:栃木県那須郡那珂川町小川・吉田地区
- 主な構成:駒形大塚古墳、吉田温泉神社古墳群、那須八幡塚古墳群
- 指定日:1979年3月13日
- 追加指定・名称変更:2002年12月19日
- 管理者:那珂川町
- 見学時間:史跡全体に共通する公式の見学時間は案内されていません
- 料金:史跡全体に共通する公式の見学料金は案内されていません
- 特徴:3基の前方後方墳と21基の方墳、中国鏡や鉄製品、葬送儀礼に関係する可能性のある遺構
- 見学時の注意点:古墳群は複数の場所に分かれ、吉田富士山古墳など私有地内の古墳もあります。無断で私有地へ入らず、現地の案内表示に従ってください
駒形大塚古墳は駒形公園として整備され、那須八幡塚古墳では調査結果に基づいて墳丘の一部が復元されています。
一方、削平された部分がある古墳や、現在の神社と重なる古墳もあります。
現地では土の高まりだけを見るのではなく、河岸段丘の縁や川との位置関係、古墳が並ぶ方向にも目を向けると、この場所が選ばれた理由を想像しやすくなります。
なす風土記の丘資料館で予習する
- 名称:那珂川町なす風土記の丘資料館
- 住所:栃木県那須郡那珂川町小川3789
- 開館時間:午前9時30分から午後5時まで
- 入館時間:午後4時30分まで
- 休館日:月曜日、祝日の翌日、年末年始、展示替期間。ただし月曜日が祝日の場合や祝日の翌日が土曜日・日曜日の場合は開館
- 電話:0287-96-3366
- 特徴:那須地域の古墳や古代の役所など、周辺の歴史を紹介する資料館
現地を歩く前に資料館で古墳の形や出土品を確認すると、墳丘の残り方や古墳同士の違いを理解しやすくなります。
那須八幡塚古墳の出土品には、東京国立博物館の所蔵品として文化遺産オンラインに登録されている資料もあります。
展示資料は入れ替わることがあるため、特定の鏡や出土品を見たい場合は、訪問前に資料館や所蔵館の公式情報を確認してください。
那須小川古墳群に関するよくある質問
那須小川古墳群は那須町にありますか?
那須小川古墳群があるのは那須町ではなく、栃木県那須郡那珂川町です。
名称に「那須」と付くのは、現在の那須町だけを指すのではなく、歴史的な那須地域との関係があるためです。
前方後方墳と前方後円墳は何が違いますか?
どちらも前方部と後方部を組み合わせた古墳ですが、後方部の形が異なります。
前方後方墳は後方部が四角形で、前方後円墳は後方部が円形です。
那須小川古墳群を代表する3基はいずれも前方後方墳です。
那須小川古墳群の中国鏡は誰から与えられたものですか?
鏡がどの勢力から、どのような経路で渡ったのかは分かっていません。
広域的な交流や政治関係を示す重要な資料ですが、特定の人物や政権から直接与えられたと断定できる記録はありません。
古墳の中に入れますか?
公開されている墳丘の外観を見学する史跡であり、埋葬施設の内部へ入る形式ではありません。
また、すべての古墳が公園として整備されているわけではないため、見学できる範囲は現地の表示に従ってください。
まとめ
那須小川古墳群は、栃木県那珂川町の権津川流域に築かれた、3基の前方後方墳と21基の方墳からなる国指定史跡です。
駒形大塚古墳と那須八幡塚古墳から出土した中国鏡や多様な鉄製品は、古墳時代前期の那須地域に有力者と広域的な交流網が存在したことを伝えています。
吉田温泉神社古墳の近くで確認された竪穴建物跡は、殯などの葬送儀礼に関係した可能性がありますが、具体的な用途は確定していません。
被葬者の名前や有力者同士の関係には不明な点が残るものの、古墳、出土品、儀礼施設を一体として調べられることが那須小川古墳群の大きな価値です。
墳丘だけでなく河川や段丘を含む景観を眺めることで、約1700年前にこの地を選んだ人々の意図に思いを巡らせられる史跡です。
主な出典元
参考にした公的資料・発掘調査報告
- 那珂川町「那須小川古墳群(なすおがわこふんぐん)」
https://www.town.tochigi-nakagawa.lg.jp/0011/info-0000000509-0.html - 栃木県「とちぎの文化財 那須小川古墳群」
https://bunkazai.pref.tochigi.lg.jp/cultural/%E3%80%90%E9%82%A3%E9%A0%88%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4%E3%80%80%E9%A7%92%E5%BD%A2%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%80%80%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%A9%E6%B3%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ - 文化庁「国指定文化財等データベース 那須小川古墳群」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/492 - 奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧 那須小川古墳群」
https://sitereports.nabunken.go.jp/78998 - 文化遺産オンライン「栃木県那珂川町 那須八幡塚古墳出土品」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/507257


