ワリ文化は、インカ帝国が登場するより前に、現在のペルーを中心に広がったアンデスの文化です。
アヤクーチョ地方の都市ワリを中心に、遠く離れた地域にも拠点を築きました。
一方で、出土品が似ている地域をすべて同じ方法で支配していたとは限りません。
ここでは、ワリ文化の成立と広がり、代表的な遺跡、ティワナクとの関係、衰退をめぐる研究を紹介します。
ワリ文化とは?いつ、どこで栄えたのか
ペルーのアヤクーチョ地方から広がった文化
ワリ文化の中心は、ペルー中南部の高地にあるアヤクーチョ地方です。
おおむね紀元600~1000年ごろに広域へ影響を及ぼしたと説明されますが、成立や終わりの年代には資料や地域によって幅があります。
この時期はアンデスの考古学で「中期ホライズン」と呼ばれます。
複数の地域に共通する文化的な特徴が見られる時代を指す言葉です。
「ワリ」は文化の名前であると同時に、中心都市の名前でもあります。
政治的な広がりを説明するときには「ワリ国家」や「ワリ帝国」という呼び方も使われます。
地域の伝統と外部の影響が重なって成立した
ワリ文化の背景には、アヤクーチョ地方のワルパ文化があります。
南海岸のナスカ文化からは、色鮮やかな土器の表現などに影響を受けました。
さらに、ティティカカ湖周辺で栄えたティワナクの図像も、ワリの美術に取り入れられています。
したがって、ワリ文化を一つの地域だけで突然生まれた文化として捉えると、その成り立ちは見えにくくなります。
ただし、美術上の共通点だけで、ナスカやティワナクがワリの支配下に入っていたと判断することはできません。
ワリはどのように広がったのか
首都ワリに残る建物と都市の構造
現在のワリ考古遺跡群には、壁で区切られた区画、通路、広場、儀礼に関わる建物の跡が残ります。
ペルーの観光当局の資料によると、建物の多くは地中に埋まったままで、見えている遺構だけが都市全体ではありません。
発掘では、土を用いた古い建物の上に、加工した石を使う建物が築かれたことも分かっています。
この重なりは、都市が一度に完成したわけではないことを示します。
「D」の字に似た平面を持つ建物は、ワリの儀礼建築を考える手がかりの一つです。
地方拠点のピキジャクタ
ワリは中心都市の周辺にとどまらず、離れた地域にも拠点を築きました。
クスコ地方のピキジャクタは、その代表例です。
ゴードン・マキューアンらの調査を紹介するアイオワ大学出版局の資料では、建物群や給水・排水の仕組みが報告されています。
こうした大規模な工事は、労働力を集めて拠点を運営する組織があったことを考える材料です。
スミソニアン博物館は、地方拠点と道路網をワリの広がりを支えた要素として紹介しています。
ただし、拠点のある地域と、ワリ風の品物が見つかるだけの地域を同じ強さの支配下にあったとみなすことはできません。
海岸のカスティージョ・デ・ワルメイが示すこと
海岸地方のカスティージョ・デ・ワルメイでは、ワルシャワ大学などによる調査で、ワリ期の権力者に関わる墓と多数の工芸品が発見されました。
首都から遠い海岸にも、重要な政治的・儀礼的拠点が存在したことを示す調査成果です。
首都ワリの墓は盗掘の影響を強く受けていますが、ワルメイの墓では異なる条件で遺物が残りました。
両方の遺跡を比べると、ワリ文化を首都の遺構だけから説明できないことが分かります。
暮らしと信仰にはどのような特徴があったのか
農業と物資の移動
ワリの中心地は、農業に恵まれた土地だけに築かれたわけではありません。
高地と海岸を結ぶ広がりの中で、農産物や工芸品を生産し、運ぶ仕組みが重要でした。
地方拠点や道路の痕跡は、人や物が地域間を行き来したことを考える手がかりになります。
ただし、各地域の農民が何をどれだけ納めたのかなど、行政の具体的な運用まで一律に復元することはできません。
土器や織物に現れる図像
ワリの土器には、植物や動物、人物を色鮮やかに表したものがあります。
人物の中には、両手に杖を持つ神格として解釈される図像もあります。
似た図像はティワナクにも見られますが、二つは別の政治的・文化的集団です。
両者の共通性は、信仰に関わる表現が地域を越えて伝わった可能性を示します。
その神格を後世の文献に登場する「ビラコチャ」と同一視する見解もありますが、ワリ時代の神の名前が直接記録されているわけではありません。
ワリの織物には複雑な模様を持つ衣服や帽子もありました。
織物について詳しく知りたい方は、関連記事「チュニックの古代ワリ文化の謎」も参照してください。
ワリ文化はなぜ衰退したのか
干ばつや政治的な混乱は仮説の段階
首都ワリでの破壊や建物の放棄は、考古学的な検討の対象になっています。
衰退の要因としては、干ばつ、物資を維持する負担、内部の対立、地方勢力との関係の変化などが挙げられています。
しかし、どれか一つが全域の衰退を引き起こしたと確定したわけではありません。
首都の終わりも地域の終わりも一つの日付では表せない
メトロポリタン美術館の解説は、首都の放棄を主に10世紀の危機と結びつけています。
一方、アヤクーチョ盆地の人骨を年代測定した研究では、中心地の支配層に関わる活動が少なくとも11世紀半ばまで続いた可能性が示されました。
この違いを踏まえると、「1000年にワリ文化が突然滅亡した」と区切るのは正確ではありません。
さらに、2024年に発表された複数地域の放射性炭素年代を比較する研究は、ワリの影響が始まる時期や終わる時期、政治的な関わり方が地域ごとに異なると論じています。
地方の人々の生活が、国家の政治的な変化と同時にすべて消えたわけでもありません。
首都、地方拠点、周辺の集落を分けて調べることが、ワリの終わりを理解する鍵になります。
ワリ遺跡群と博物館の見学情報
アヤクーチョ近郊で見学できる場所
- 名称:ワリ考古遺跡群、ワリ遺跡博物館(Museo de Sitio Wari)
- 所在地:ペルー・アヤクーチョ県ワマンガ郡パカイカサ地区
- 住所・目印:アヤクーチョ-キヌア道路23キロ地点
- アクセス:アヤクーチョ市街から陸路で向かいます。ペルーの観光当局は市街から約23キロの経路を案内しています。
- 見学時間:文化省の博物館案内では火曜~日曜の9時~17時です。
- 料金:文化省の博物館案内には一般6ソル、高等教育の学生3ソルと掲載されています。料金の一部には2024年限定の記載も残るため、訪問前に最新条件を確認してください。
- 休館日:公式案内の開館曜日に月曜日は含まれていません。
- 特徴:遺跡の区画や建物の跡を見られ、博物館では土器、石製品、織物などが紹介されています。
- 見学時の注意点:公開範囲や交通事情は変わる可能性があります。訪問前にペルー文化省の博物館案内で確認してください。
遺跡では、高い壁の痕跡や通路の配置に目を向けると、建物がどのように区画を形づくっていたかを想像しやすくなります。
博物館の展示と合わせて見ることで、広大な都市の跡と、そこで作られた品物とのつながりも分かります。
よくある質問
ワリ文化には文字がありましたか?
現在知られているワリの資料からは、漢字やアルファベットのような文字体系は確認されていません。
一方、紐の結び目などで情報を記録するキープは、ワリに関わる記録法として紹介されています。
その内容を現代の研究者がすべて読み取れるわけではなく、当時の人々が何語をどのように記録していたかにも不明な点が残ります。
まとめ
ワリ文化は、アヤクーチョ地方を中心に発達し、インカ以前のアンデス各地に拠点と文化的な影響を広げました。
首都ワリやピキジャクタ、海岸のワルメイの調査からは、地域ごとに異なる姿が見えてきます。
ナスカやティワナクとの関係は美術に表れていますが、共通する模様だけで政治的な支配関係は決められません。
衰退の時期と理由にも議論が続いています。
遺跡を一つずつ比べることで、ワリという広い文化圏の多様さを知ることができます。
参考にした公式・関連資料
- ペルー文化省「Museo de Sitio Wari(ワリ遺跡博物館、仮訳)」
- ペルー外国貿易観光省「Complejo Arqueológico Wari(ワリ考古遺跡群、仮訳)」
- メトロポリタン美術館、José Ochatoma Paravicino「Wari Imperial Art(ワリの帝国美術、仮訳)」
- スミソニアン国立アメリカ・インディアン博物館「The Great Inka Road: Wari(インカの大街道:ワリ、仮訳)」
- ワルシャワ大学考古学部「Castillo de Huarmey. The Wari Empire Centre on the North Coast of Peru.(カスティージョ・デ・ワルメイ:ペルー北海岸のワリ帝国拠点、仮訳)」
- アイオワ大学出版局、Gordon F. McEwan編「Pikillacta(ピキジャクタ)」
- アリゾナ州立大学、Patrick Ryan Williamsほか「Wari across the Andes: Modeling the radiocarbon evidence(アンデス各地のワリ:放射性炭素年代のモデル化、仮訳)」『Quaternary International』703、2024年。
- Cambridge University Press、Brian Clifton Finucaneほか「The End of Empire: New Radiocarbon Dates from the Ayacucho Valley, Peru, and their Implications for the Collapse of the Wari State(帝国の終焉:アヤクーチョ盆地の新たな放射性炭素年代とワリ国家の衰退への示唆、仮訳)」『Radiocarbon』49巻2号、2007年。
- メトロポリタン美術館「Tunic(チュニック、仮訳)」


