グラヴェット文化は、氷河期のヨーロッパに広く見られた旧石器時代の文化です。
細長い石器だけでなく、小さな人物像や埋葬の痕跡も残されています。
「ヴィーナス像を作った人々」として紹介されることもありますが、各地の人々が全く同じ暮らしをしていたのでしょうか。
ここでは、遺跡から分かる特徴と、近年の古代DNA研究が示した地域差を整理します。
グラヴェット文化はいつ、どこで栄えたのか
約3万4000~2万5000年前のヨーロッパに広がった
グラヴェット文化は、現生人類であるホモ・サピエンスが残したヨーロッパの後期旧石器時代の文化です。
フランス文化省は、およそ3万4000~2万5000年前の文化として紹介しています。
一方、研究ごとに対象とする地域や年代の区切りが異なり、「約3万3000~2万6000年前」などの表記もあります。
年代は一律の始まりと終わりを示すものではなく、地域や年代測定の方法によって幅が生じます。
遺跡は西ヨーロッパから中央・東ヨーロッパに広く分布します。
名前は、フランス南西部ドルドーニュ地方のラ・グラヴェット遺跡に由来します。
オーリニャック文化の後に現れた
ヨーロッパ西部の区分では、グラヴェット文化はオーリニャック文化に続く文化として位置づけられます。
遺跡の地層を調べると、石器の形や製作法が時期とともに変わっていることが分かります。
ただし、広い地域の文化を一つの年代だけで切り替えられるわけではありません。
石器と狩猟から見る人々の暮らし
細長い石器を加工した「グラヴェット尖頭器」
代表的な道具の一つがグラヴェット尖頭器です。
石から細長いかけらを計画的に打ち出し、その縁を加工して作りました。
槍などの先端に取り付けて使ったと考えられる尖頭器のほか、時期や地域によって異なる形の石器も見つかっています。
骨や角から作られた道具もあり、「グラヴェット文化の道具は一種類だけ」とは言えません。
マンモス以外の動物も利用した
チェコのドルニー・ヴェストニツェやパヴロフ周辺では、マンモスの骨を伴う居住の痕跡が見つかっています。
ただし、マンモスばかりを狩っていたわけではありません。
チェコのルブナーVI遺跡に関する研究では、トナカイの歯を調べ、秋に獲物を得た可能性が示されました。
その季節には脂肪や毛皮を利用しやすかったと研究者は考えています。
こうした結果は、当時の人々が土地や季節に応じて資源を選んでいたことを考える手がかりです。
人物像と埋葬は何を伝えるのか
「ヴィーナス像」の意味は決まっていない
グラヴェット文化と関連づけられる資料には、女性の姿を表した小さな像があります。
オーストリアで見つかった「ヴィレンドルフのヴィーナス」は、その代表例です。
ウィーン自然史博物館によると、約2万9500年前の像で、表面には赤い顔料の痕跡が確認されています。
「ヴィーナス」は研究史の中で定着した呼び名です。
古代ローマの女神ヴィーナスを信仰していた証拠という意味ではありません。
豊穣や信仰との関係を考える見方はありますが、何のために作られたかは確定していません。
チェコのドルニー・ヴェストニツェでは、粘土を焼いた人物像や動物像も見つかっています。
この技術は、後世の食器などを作る土器文化と同じものとして扱うのではなく、当時の造形活動として捉える必要があります。
洞窟画と埋葬が同じ場所に残る例もある
フランスのキュサック洞窟には、約3万年前にさかのぼる壁面の彫刻と人骨が残されています。
フランス文化省は、洞窟内の芸術と埋葬が結びついて見つかった貴重な遺跡として紹介しています。
埋葬の仕方は遺跡ごとに異なります。
出土品から当時の死者への向き合い方を考えることはできますが、共通の宗教や儀式をそのまま復元することはできません。
広い地域の人々は同じ集団だったのか
共通の石器があっても、古代DNAには地域差がある
グラヴェット文化は広く分布するため、かつては各地の人々を一つのまとまった集団のように捉える見方もありました。
しかし、2023年に発表された古代DNAの研究では、調査した西・南西ヨーロッパの人骨と、中央・南ヨーロッパの人骨の間に、異なる遺伝的傾向が確認されました。
ベルギーの資料には、両者の中間的な特徴も見られます。
つまり、似た石器や造形物が広がっていても、それだけで同じ血縁集団がヨーロッパ全域に暮らしていたとは言えません。
ただし、この結果は分析できた人骨に基づくものです。
すべての地域の住民を二つの集団に分けられる、という結論でもありません。
氷期の進行後、地域ごとに文化が変化した
氷期の寒さが厳しくなる時期には、ヨーロッパ各地で遺跡に見られる文化の特徴が変わっていきました。
西ヨーロッパでは後にソリュートレ文化などが見られ、南・東南ヨーロッパではエピグラヴェット文化と呼ばれる文化が知られています。
名前が似ているからといって、エピグラヴェット文化の担い手が各地のグラヴェット文化の人々からそのまま続いた、と一律に決めることはできません。
文化の変化と人々の移動やつながりは、遺跡と古代DNAの両方から調べられています。
グラヴェット文化についてよくある質問
ショーヴェ洞窟の絵もグラヴェット文化の人々が描いたのですか?
ショーヴェ洞窟にはグラヴェット文化期に人が訪れた痕跡があります。
一方、フランス文化省によると、その時期に描かれたと確定できる壁画は、現時点ではありません。
洞窟への来訪年代と絵の制作年代は分けて考える必要があります。
まとめ
広がりと地域差の両方が分かる文化
グラヴェット文化は、およそ3万4000~2万5000年前のヨーロッパに広がった後期旧石器時代の文化です。
特徴的な石器に加え、人物像や埋葬など、多様な資料が残されています。
一方、狩猟の方法には地域や季節による違いがあり、古代DNAにも地域差が確認されています。
人々がどのような意味を込めて像を作り、死者を葬ったのかは、まだ分かっていません。
共通する文化と土地ごとの違いを合わせて見ることで、氷河期のヨーロッパで暮らした人々の姿に近づけます。
参考にした公式・関連資料
- フランス文化省「Gravettian(グラヴェット文化・仮訳)」
- フランス文化省「How were these objects made?(これらの道具はどのように作られたか・仮訳)」
- フランス文化省「The Cussac cave(キュサック洞窟・仮訳)」
- フランス文化省「The Gravettian presence(グラヴェット文化期の来訪・仮訳)」
- ウィーン自然史博物館「Venus-Research(ヴィーナス像の研究・仮訳)」
- オーストラリア博物館「Dolni Vestonice – Archaeological Site(ドルニー・ヴェストニツェ遺跡・仮訳)」
- Pryorほか(2024)「Reindeer prey mobility and seasonal hunting strategies in the late Gravettian mammoth steppe(後期グラヴェット文化のマンモス草原におけるトナカイの移動と季節的な狩猟戦略・仮訳)」『Archaeological and Anthropological Sciences』
- Posthほか(2023)「Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers(後期旧石器時代から新石器時代のヨーロッパ狩猟採集民の古代ゲノム研究・仮訳)」『Nature』


