縄文土器とよく似た土器がアメリカ大陸にも存在し、縄文人が太平洋を渡ったのではないかという説があります。
特に注目されてきたのが、南米エクアドルのバルディビア文化です。
その土器には、日本の縄文土器を思わせる文様や形があると指摘され、1960年代には日本から南米へ土器作りが伝わったという仮説が発表されました。
しかし、日本で作られた縄文土器がアメリカ大陸から発見されたわけではありません。
土器の類似だけで交流を証明することは難しく、現在の考古学では縄文人のアメリカ大陸渡航を裏付ける確実な証拠は確認されていません。
ここでは、縄文土器とアメリカ大陸の土器の関係、バルディビア文化との共通点、太平洋横断説が有力説になっていない理由を分かりやすく紹介します。
縄文土器はアメリカ大陸で発見されたのか
日本製と確認された縄文土器は見つかっていない
結論からいうと、日本列島で作られた縄文土器がアメリカ大陸の遺跡から発見されたという事実は確認されていません。
インターネット上では「アメリカで縄文土器が発見された」と簡略化して紹介されることがあります。
実際に議論されているのは、アメリカ大陸から縄目や刻み目のある土器が出土し、その一部が縄文土器と似ているという問題です。
見た目が似ている土器と、日本から運ばれた土器は同じではありません。
産地を判断するには、土に含まれる鉱物、混ぜられた砂や植物繊維、製作技法、焼成方法などを詳しく比較する必要があります。
少なくとも現在まで、アメリカ大陸で出土した土器が日本列島の粘土から作られたと広く認められた例はありません。
「縄目のある土器」は縄文土器だけではない
縄文土器の「縄文」とは、縄を押し付けたり転がしたりして付けた文様を指します。
ただし、縄や網、織物、植物繊維を使って土器の表面に模様を付ける方法は、日本列島だけに見られる技術ではありません。
北米でも、縄を巻いた木製の道具を成形途中の土器に押し当てた「コードマークド・ポタリー」と呼ばれる縄目土器が作られました。
縄を巻いた道具は粘土に付きにくく、土器の厚さを整えたり、積み上げた粘土の接合を強めたりするのにも役立ちます。
このような実用的な理由があるため、離れた地域で似た表面処理が別々に考案されても不思議ではありません。
縄文土器とアメリカ大陸が結び付けられた理由
議論の中心となったバルディビア文化
縄文土器との関係で最もよく取り上げられるのは、アメリカ合衆国の土器ではなく、南米エクアドル沿岸部のバルディビア文化です。
バルディビア文化は、南米でも早い時期に土器を製作した文化の一つとして知られています。
年代は研究や編年によって幅がありますが、考古学データを公開する「Virtual Valdivia」では、紀元前4400年頃から紀元前1450年頃までとされています。
バルディビアの人々は海岸部やその周辺に集落を営み、土器のほか、石器や貝製品、人の姿を表した小像などを残しました。
土器には鉢や壺があり、赤い表面、刻線、押し引きによる模様、起伏のある口縁など、多様な特徴が見られます。
1960年代に提唱された縄文・バルディビア交流説
1962年、エミリオ・エストラーダ、ベティ・メガース、クリフォード・エヴァンズは、科学誌『Science』に太平洋横断接触の可能性を発表しました。
研究者たちは、初期バルディビア土器の装飾や器形が東アジアの土器と似ており、特に日本の縄文中期土器との共通点が目立つと考えました。
さらに1965年には、スミソニアン協会からバルディビア文化とマチャリーヤ文化を扱った研究書が刊行され、比較資料が詳しく示されました。
そこで提案されたのが、縄文時代の漁民が嵐などで流され、太平洋を横断してエクアドル沿岸へ到達したという仮説です。
彼らが現地の人々に土器作りを伝えた結果、バルディビア土器が誕生したのではないかと考えられました。
これは意図的な植民や大船団の航海ではなく、偶発的な漂流による文化伝播を想定した説です。
比較された土器の特徴
縄文土器と初期バルディビア土器の比較では、主に次のような点が注目されました。
- 土器の表面に刻線や押圧による文様があること
- 波形や山形を思わせる装飾が使われていること
- 口縁の一部が高くなる形が見られること
- 鉢や壺の輪郭に似た例があること
- 両者の年代が一部重なると考えられたこと
一つの特徴だけではなく、複数の要素が組み合わさって似ている点が、交流説を提唱した研究者たちの根拠でした。
一方で、縄文土器は一万年以上にわたり、日本列島の各地域で多様に変化しています。
比較対象を大量の縄文土器から選べば、遠く離れた文化の土器と部分的に似る例が見つかりやすくなるという問題もあります。
縄文人の太平洋横断説が有力説になっていない理由
形や文様の類似だけでは交流を証明できない
考古学で地域間の交流を証明するには、物の形が似ているだけでは十分ではありません。
粘土や石材の産地、製作工程、使用痕、出土した地層、周辺の遺物などを総合して検討します。
土器は粘土を積み上げて容器を作るため、使いやすい形には一定の共通性が生まれます。
直線、波形、点列、縄目なども、簡単な道具で作りやすい文様です。
そのため、似た生活を送る人々が、交流なしに似た器形や装飾へ到達する「独立発生」の可能性を除外できません。
仮に日本から土器作りが伝わったなら、装飾だけでなく、粘土の調整、成形、焼成、道具の組み合わせにも連続した特徴が期待されます。
しかし、そのような技術のまとまりが日本からエクアドルまで追跡できる状態にはなっていません。
アメリカ大陸には独自の古い土器文化がある
縄文・バルディビア交流説が提唱された当時、バルディビア土器はアメリカ大陸で最古の土器候補と考えられていました。
もし地域に先行する土器がなければ、外部から技術がもたらされたという説明には一定の説得力が生まれます。
その後、南米各地の調査が進み、ブラジルのアマゾン川流域やコロンビア北部などから、バルディビア文化以前または初期段階と重なる古い土器が確認されました。
コロンビアのサン・ハシント1遺跡では、約5900年前の土器群が報告されています。
ブラジルのタペリーニャ貝塚では、約8000~7000年前にさかのぼる土器が報告され、年代の検討も続けられてきました。
これらはアメリカ大陸の土器作りに複数の地域的な伝統があった可能性を示しています。
したがって、南米の土器文化を日本からの一度の伝播だけで説明する必要はありません。
太平洋を渡った過程を示す証拠がない
縄文時代の人々が丸木舟を利用し、海峡を越えて交易していたことは考古学的に確認されています。
縄文人が海に不慣れだったわけではありません。
しかし、日本からエクアドルまでは数千キロメートルを大きく超える距離があり、沿岸航海や島への移動とは規模が異なります。
1978年に『American Antiquity』へ掲載された研究では、北太平洋の海流、天候、当時知られていた船、漂流中の生存条件が検討されました。
その結果、メガースたちが想定した方法で縄文漁民がエクアドルへ到達した可能性は低いと結論付けられています。
また、日本と南米を結ぶ途中の地域から、同じ技術が段階的に広がったことを示す土器群や関連遺物も確認されていません。
航海そのものが物理的に絶対不可能だったと証明されたわけではありませんが、実際に起きたと判断できる証拠が不足しています。
縄文人とアメリカ先住民の起源は別の問題
「縄文人が南米へ漂着した」という仮説と、「アメリカ先住民の祖先が縄文人だった」という説は分けて考える必要があります。
アメリカ大陸への最初の人類移住は、バルディビア文化の成立よりはるかに古い時代の出来事です。
2021年に発表された歯の形態と古代DNAを総合した研究では、縄文時代草創期の人々をアメリカ先住民の主要な起源とみなす考えは支持されませんでした。
この研究は、数千年前に少人数が偶発的に接触した可能性を直接否定するものではありません。
ただし、「アメリカ先住民は縄文人の子孫である」という大きな主張を裏付けるものでもありません。
北米の縄目土器と日本の縄文土器の違い
米国東部にも縄目を持つ土器がある
米国東部では、ウッドランド期の遺跡から縄目の付いた土器が数多く出土しています。
米国国立公園局は、紀元前1000年頃までさかのぼる初期ウッドランド期の土器について、粘土紐を積み上げて成形し、内外面に縄目を付けた厚手の土器を特徴として挙げています。
後の時代にも、縄を巻いた木製の叩き具で表面を整えた土器が北米各地で作られました。
しかし、これらは地域の遺跡、生活、技術変化の中で研究されているアメリカ先住民の土器です。
考古学的な位置付けも年代も、日本の縄文土器とは異なります。
「縄文」という日本語名が誤解を招きやすい
日本の「縄文土器」と英語の「cord-marked pottery」は、どちらも表面に縄の痕跡を持つ土器を表せます。
この言葉の一致から、同じ文化に属する土器のように感じられることがあります。
しかし、「縄目がある」という特徴は、文化や民族の名称ではなく、表面をどのように加工したかを示す説明でもあります。
たとえば、複数の地域で磨製石器が使われていても、それだけで同じ集団が世界中を移動した証拠にはなりません。
縄目土器についても、年代、製作技術、材料、器形、出土状況を合わせて判断する必要があります。
縄文人とアメリカ大陸の接触を証明するには何が必要か
土器の材料を科学的に比較する
土器に含まれる鉱物や微量元素を分析すると、原料となった粘土や混和材の産地を絞り込める場合があります。
アメリカ大陸で出土した土器の材料が、日本列島の特定地域と一致し、現地の材料では説明できなければ重要な証拠になります。
反対に、原料が遺跡周辺のものなら、その土器は現地で作られた可能性が高まります。
ただし、現地の材料で作った土器に外来の技術が使われることもあるため、材料分析だけで文化伝播の有無を決めることはできません。
製作技術の連続性を確認する
文化的なつながりを検討する際は、完成した模様だけでなく、土器を作った手順が重要です。
粘土の選び方、混和材、粘土紐の積み方、器面の調整、縄のより方、焼成温度などを比較します。
偶然では説明しにくい複雑な技術の組み合わせが、年代順に連続して確認されれば、交流説は強くなります。
現状では、そのような連続性が太平洋の両岸で実証されたとはいえません。
土器以外の証拠を組み合わせる
一度の航海や少人数の接触を証明するのは簡単ではありません。
それでも、船の痕跡、航海用具、日本列島に由来する石材、食用植物、動物、埋葬習慣、古代人骨のDNAなど、別の種類の証拠が同じ年代を示せば仮説の信頼性は高まります。
2013年の南米先住民のY染色体研究では、東アジアとの長距離接触が一つの可能性として検討されましたが、大規模な先コロンブス期移住を示す遺伝的証拠は得られていないとされています。
遺伝的な類似には、アメリカ大陸への最初の移住に由来する古い共通祖先や、大陸内での人口移動など、別の説明もあります。
土器の類似と遺伝子の一部だけを結び付け、縄文人の渡航が証明されたと断定することはできません。
縄文土器とアメリカ大陸をめぐる未解明の点
偶発的な接触の可能性は完全には否定できない
先史時代の海上交流は、木や植物繊維で作られた船が腐りやすいため、証拠が残りにくい研究分野です。
また、ごく少人数の漂着であれば、遺伝的な痕跡が後世まで残らない可能性もあります。
このため、縄文人と南米の人々が絶対に接触しなかったと証明することも困難です。
しかし、「起こり得ること」と「実際に起きたと証明されていること」は区別しなければなりません。
現在確認できる資料では、縄文人がアメリカ大陸へ到達し、バルディビア文化に土器作りを伝えたという説は、有力な定説ではありません。
土器の類似は研究の出発点にはなりますが、結論ではないのです。
比較研究そのものには意味がある
縄文・バルディビア交流説が支持されていないからといって、両地域の土器を比較する研究に意味がないわけではありません。
人々がなぜ土器を必要とし、どのように表面を整え、装飾に地域性を表したのかを考える手掛かりになります。
遠く離れた社会が似た発想へ到達したなら、それは人間の技術や造形感覚に共通する面を示しています。
反対に、将来新しい遺物や分析結果が見つかれば、先史時代の海上交流について従来の理解が修正される可能性もあります。
重要なのは、魅力的な仮説を否定も断定もせず、確認された証拠の範囲で評価することです。
縄文土器とアメリカ大陸に関するFAQ
「アメリカで縄文土器が発見された」という情報は誤りですか?
日本製の縄文土器が発見されたという意味なら、正確ではありません。
アメリカ大陸には縄目や刻線を持つ土器があり、南米のバルディビア土器と縄文土器の類似が議論されてきた、というのが実際の内容です。
バルディビア土器はアメリカ大陸最古の土器ですか?
かつては最古の候補とされましたが、現在は単純にアメリカ大陸最古とはいえません。
ブラジルのアマゾン川流域やコロンビア北部などから、さらに古い可能性のある土器が報告されています。
年代には試料や測定方法による議論があるため、バルディビア文化は「南米最古級の土器文化の一つ」と表現するのが適切です。
縄目模様が同じなら、同じ人々が作ったのではありませんか?
縄目は、縄を巻いた道具で粘土を整える過程でも生じるため、異なる地域で独立して使われる可能性があります。
同じ集団や文化のつながりを示すには、材料、製作工程、年代、出土状況などの一致も必要です。
縄文人は海を渡る技術を持っていましたか?
縄文時代の遺跡からは丸木舟が出土し、離れた産地の黒曜石やヒスイなども見つかっています。
そのため、沿岸や島々を結ぶ航海と交易を行っていたことは確かです。
ただし、その能力から直ちに日本と南米の間を横断したと結論付けることはできません。
まとめ
アメリカ大陸では縄目を持つ土器が出土していますが、日本で作られた縄文土器が発見されたわけではありません。
縄文土器との関係で注目されたのは、南米エクアドルのバルディビア文化です。
1960年代には、土器の形や文様の類似を根拠として、縄文時代の漁民が太平洋を渡り、土器作りを伝えたという説が提唱されました。
一方、アメリカ大陸には独自の古い土器文化があり、縄目も実用的な製作技法として別々に生まれ得ます。
さらに、航海の途中を示す遺物や、縄文人の到達を直接示す資料も確認されていません。
現時点では、縄文人のアメリカ大陸渡航説は想像力を刺激する仮説ではあるものの、考古学的に証明された歴史ではないと考えるのが妥当です。
縄文土器とアメリカ大陸の土器の類似は、遠く離れた文化の交流だけでなく、人間が同じ素材から似た技術を生み出す可能性についても考えさせる興味深いテーマです。
主な出典元
- 北海道・北東北の縄文遺跡群「縄文時代について」
- UNESCO World Heritage Centre「Jomon Prehistoric Sites in Northern Japan」
- Estrada, Meggers and Evans「Possible Transpacific Contact on the Coast of Ecuador」Science
- Smithsonian Institution「Early Formative Period of Coastal Ecuador: The Valdivia and Machalilla Phases」
- McEwan and Dickson「Valdivia, Jomon Fishermen, and the Nature of the North Pacific」American Antiquity
- Open Context「Virtual Valdivia」
- Cambridge University Press「Ceramics: Their Origin and Technology」
- Pratt「The Case of San Jacinto, Colombia」Latin American Antiquity
- Rooseveltほか「Eighth Millennium Pottery from a Prehistoric Shell Midden in the Brazilian Amazon」Science
- U.S. National Park Service「Initial Woodland」
- University of Michigan Museum of Anthropological Archaeology「Cord-marked Pottery」
- Scottほか「Peopling the Americas: Not “Out of Japan”」PaleoAmerica
- Roewerほか「Continent-Wide Decoupling of Y-Chromosomal Genetic Variation」PLOS Genetics


